藤田真央――終わりなき旅路 藤田真央――終わりなき旅路

 2017年8月23日、時刻は22時過ぎ。セミファイナルに残った6人中、あとはもうひとりの演奏を待つばかり。最後の演奏者となれば、それまでの演奏を聴いて判断力をじゅうぶん整理しきった審査員たちを相手にしなくてはならない。彼らを前に、ごまかしようのない高さのバーを飛び越える。つまり藤田真央は、そのような場に出てきたわけだ。

 彼は笑顔で、いつもどおりの歩き方で舞台に現れた。共演はヴァイオリンがセルゲイ・オストロフスキー、ヴィオラがエリ・カランフィロヴァ、チェロがヨエル・マロジ。場は華やぎ、4人とも席につく。真央とセルゲイがすばやく一瞥をかわしあい、すぐに[モーツァルトの、変ホ長調の方の]ピアノ四重奏曲K493の最初の楽想が響きはじめる。第1楽章が弾き進められてゆく、真央は自分の存在感をはっきりさせようとする。それで他の三人と視線でやりとりしようとするが、結果的には彼はこの楽章中、弦と真っ向から対峙しつづける感じだった。明快で力強い弾き方が、時として弦三人の玄妙さを聴かせる妨げになってしまうことも……ピアノが伴奏役になる局面ではとくにそれが耳につく。にもかかわらず、その楽章でもうはっきり伝わってきたことがある――藤田真央は、真剣勝負の候補者なのだ、と。テクニックは申し分なく、フレーズに歌がある。いくつか少し筋違いなところに気合が入りすぎていたのはご愛嬌というもので、第1楽章からもう、これから間違いなく面白いものが聴けることになるのは明らかだった。

 続いて第2楽章である。若きピアニストは、そこにいる一流の批評陣がどう聴いたのか理解したようだ。実際のところ、今度の楽章は彼がこの四重奏における自分のベストポイントを見定めにいく場となった。戦いが続く――ピアノと弦3人が立ち位置をとりあって声を荒げながら、その戦いのさなかに時として、えもいわれぬ共感に満ちた瞬間が何度も迸り出るのである。そんな瞬間がつづくと、もう自分がどこにいるかも忘れてしまうほどだ。真央と奏者たちを見ると、みな笑顔になっている、場を愉しんでいる。真央がずっと落ち着いてきたのが音からもわかる、四重奏をリードしようという焦りも薄れている。そうやって各パート間の平等が何度もはっきり感じられ、4人はいつしか、めくるめく共感のなかで演奏を続けてゆくのだった。

 第3楽章の冒頭部はなんとも独特な演奏効果をあげた。いったん幕が下りて、演奏者たちが衣替えをしたかのようだ。今や私たちが前にしているのは、4人の音楽家ではない――戯曲をひとつ演じる4人の主人公だ。さながら、彼らはことばを交わしあっているようだった。時折ピアノが怒りを爆発させ、言いたいことを大声でまくしたてはじめると、それを弦の3人がどうにかなだめようとする。逆に、ピアノが弦3人をどうにか説き伏せようとする場面もやってくる。時として刺激しあい、邂逅しあい、また盛りあげあい……しかしそのいずれにおいても、演奏者たちは笑顔なのである。だから私たちもつい笑顔になってしまう。その楽章が終わると、満場はじけるような大喝采、次々に賛辞が相次ぐ……真央は、彼なりにモーツァルトを弾きこなしてみせたのだ。室内楽を聴き進めるうえで欲しいものが全部、そこに揃っていた。

 若き日本人は再びステージに現れる。今度は彼ひとり。彼はこれから、ある金字塔的傑作ともいえるソナタと対峙しなくてはならない。ベートーヴェンの作品111[=ピアノ・ソナタ第32番、ベートーヴェンが残した全32曲のソナタ群の最後を飾る1曲]だ。真央はピアノの前に座ると、集中力を整える間もとらず、すぐさま稲妻のごとき音を炸裂させはじめる。何か警告を発しつづけるかのごとく、轟く雷鳴ときわめて静かな和声とのあいだに、ニュアンス豊かな導入部が紡ぎ出されてゆく――そして、この第1楽章の象徴ともいうべきあの三つの音が流れ出す。この瞬間からだ、嵐が始まるのは。若き出場者の演奏派よどみなく表情豊かに続き、熾烈さも穏やかさも思いのまま。楽章中、ふいに緊迫感がほぐれるところで、その悪魔が乗り移ったかのような旋律線のリズムに突き動かされるように、客席で頭を動かさずにおれない人がいた箇所もたびたびあった。

 このソナタ、第2楽章は概して冒頭楽章から一転、それまでの嵐とはうって変わって穏やかに奏でられ、対照の妙が打ち出されるもの……真央もそのことはよく承知していた。今や私たちはみな、その第2楽章に深く浸ることとなる――ひたすら憂愁にあふれ、時に涙さえ禁じえないほどの演奏を通じて。聴こえてくる響きはきわめて純然、実に抑制が利いていて、実に感動をさそう。この作品に自ずとあふれかえっている力を解き放ってゆくようにして、真央は私たちを、旅へと連れ出す。曲が終わる頃にはこちらもへとへとだ――これほどの力をひとつの曲の演奏に費やしたあと、同じくらいパワーの要るリストの第2ラプソディ[=ハンガリー狂詩曲第2番]ほどの大作を弾く力がいったいどこに残っているのだろう?と訝らざるを得ない。しかしピアニストは、私たちにそうやって頭を傾げさせる暇もくれなかった。ほんのひとときの静寂をへて、彼は最後の挑戦へと乗り出す。おごそかな導入部から弾きはじめ、私たちに示してみせるのだ――彼の超絶技巧の真骨頂がくりひろげられるさまを。炸裂する花火である。もう客席は笑うしかない、笑しか出てこない――ただひたすらに天才的、なんとみごとなリサイタルの締め方ではないか。

 割れんばかりの大喝采で、去り際の真央もさすがに口元がほころんでいた。その晩、彼は私たちを旅へと連れ出してくれたのだ。笑顔になり、感じ入り、驚かされた。あのリサイタルにははっきり、物語と呼びうるものがあった。聴き入る喜びを与えてくれたのだ。真央は私たちを魅了しつくした――客席も審査員席もすべて。そのような快挙のあとでも疑念が沸くとしたら、ごく弱いものだろう。その少し後、クリスティアン・ツァハリアスが最新情報を知らせに来た――藤田真央は、2017年クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールの最終審査に進む3人のひとりになった、と。

               ヴァレリオ・ペルソネニ/ラ・ジューヌ・クリティーク*
               (訳:苅谷 熙/2017年8月27日)


*(訳者注)ラ・ジューヌ・クリティークLa Jeune Critiqueは2011年の第24回からクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールに同行している、ジュネーヴ音楽院で音楽学を学ぶ学生たちによる記事執筆チーム。同学院の音楽学クラスを受け持つナンシー・リーベンNancy Rieben教授が中心となり、コンクール出場者や審査員たちへのインタビューなども随時行っている。


・本記事は、クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール公式サイトに掲載されているコメントを、コンクール事務局の許可を得て翻訳の上、掲載しております。


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