リピンスキ, カロル(1790-1861)
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ショパンよりも少し前の時代に「ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ」として活躍したカルロ・リピンスキ。ポーランド、ルブリン近郊の貴族の家に生まれ、幼い頃から音楽の英才教育を受け、8歳の時には協奏曲を演奏するほどに才能に恵まれていました。彼の父はモーツァルトのような演奏旅行を考えましたが、もとより控え目な性格であったリピンスキはそれを拒否、宮廷音楽家として作曲と演奏に勤しみました。一時期はチェロ奏者になるための練習をしましたが、結局はヴァイオリンに戻り、パガニーニに匹敵する偉大なヴァイオリニストとして名声を獲得し、1810年以降はルイ・シュポアとも交流を持つようになります。またパガニーニとも親しく、彼の死後に愛器AMATIを譲り受けたことでも知られています。彼の作品は19世紀ヴァイオリン音楽の伝統を汲むもので、ただ技巧に走るのではなく、音楽的な深みを追求するというポリシーの元に書かれています。この2曲の三重奏曲も独奏ヴァイオリンを中心に、もう一台のヴァイオリンとチェロがメロディを歌い交わす美しい作品です。(2018/08/29 発売)
レーベル名 | :Naxos |
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カタログ番号 | :8.573776 |
「ポーランドのパガニーニ」の異名をとる名手リピンスキー。彼はドレスデン宮廷でカペルマイスターを務めた経歴もある凄腕です。ラジニポドラスキーの音楽一家に生まれたリピンスキーは、最初父から音楽の手ほどきを受けましたが、溢れ出る才能はすぐに父親を追い越し、8歳の時にはプレイエルと協奏曲を演奏するまでに成長しました。驚いた父は、モーツァルトのように「ヨーロッパの演奏旅行」を企画したといいます。しかし、謙虚な性格だったリピンスキーはそれを拒否、ポーランドを出ることはありませんでした。19歳の時にはオペラ指揮者として地域のオーケストラを指揮し、22歳の時に楽長に昇格。また20歳でヴァイオリンをはじめ、シュポアと交友関係を結びます。その後ミラノでパガニーニと出会い、一緒に演奏会を行うまでに意気投合したのです。2人は真の芸術家同士として、お互いを認め合ったのでしょう。パガニーニはリピンスキーに「ヴェニスの謝肉祭」変奏曲を捧げ、リピンスキーはOp.10の「3つの奇想曲」をお返しとして献呈しています。ここで聴けるリピンスキーの作品は、確かにパガニーニのような悪魔的性格はないものの、タルティーニやヴィオッティの伝統を踏まえた豊かな表現に彩られた見事なものです。(2012/03/14 発売)
レーベル名 | :Naxos |
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カタログ番号 | :8.572665 |