バツェヴィチウス, ヴィタウタス(1905-1970)
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リトアニア人の父とポーランド人の母を持つ作曲家バツェヴィチウス(1905-1970)。彼よりも、5歳年下の妹であるヴァチェヴィチの方が知名度も人気も高いのですが、兄の作品もなかなか聴き応えのある素晴らしいものです。もともとはピアニストとして名声を博し、数多くの演奏会に出演していた彼、1939年に南アメリカで演奏旅行を行っている時に、第二次世界大戦が勃発し、その翌年、祖国リトアニアがソビエト連邦に併合されたため、そのままアメリカに留まることとなってしまいました。このアルバムに収録された3つの作品も、定住先のアメリカで書かれたものです。第3番の協奏曲は、彼自身、祖国に対して明るい見通しを持っていたようで、曲の雰囲気もヨーロッパ風ですが、それ以降は瞑想的であり、彼が信じていた「宇宙=肉体から解放された人間の心の無限の想像力」を表現するもので、神秘的な風情を持っています。"鋼鉄のタッチと春の柔らかい呼吸を持つ"とされたバツェヴィチウスのピアニズムも感じられる見事な作品です。(2015/05/27 発売)
レーベル名 | :Naxos |
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カタログ番号 | :8.573282 |
【グラジナ・バツェヴィチの兄、ヴィータウタス・バツェヴィチウスの管弦楽曲集第2弾】バチェヴィチウスは、もともとピアニストとして名声を博し、数多くの演奏会に出演していましたが、1939年に南アメリカで演奏旅行を行っている時に第二次世界大戦が勃発。その翌年、祖国リトアニアがソビエト連邦に併合されたため、アメリカ合衆国へ渡りそこに留まりました。このアルバムに収録されている交響曲第3番は、アメリカに到着して間もなく作曲された作品。新天地に対する楽観的な希望が、牽引力ある力強い曲調で描かれており、曲の最後はアメリカ国歌「星条旗」で高らかに締めくくられます。2つのピアノ協奏曲は大戦前のパリ留学時の作品。第1番ではリトアニアの民俗音楽の旋律が用いられており、彼の故郷への郷愁が窺えます。第2番の協奏曲にも民謡の要素が使われており、その曲の歌詞がバツェヴィチウスによって総譜内に書き込まれています。どちらの曲も装飾的なピアノ・パートを持ち、オーケストラの伴奏がこれを彩ります。リトアニアのピアニスト、ガブリエリウス・アレクナはTOCCATAレーベルからバツェヴィチウスのピアノ曲をこれまでに3枚リリースした他、このシリース第1集の協奏曲でもピアノを担当しています。(2024/07/12 発売)
レーベル名 | :Naxos |
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カタログ番号 | :8.574414 |
リトアニアの作曲家&ピアニスト、バチェヴィチウスは「知られざる」20世紀音楽の先駆者の一人です。このアルバムは彼の代表作で7つの「モット」(リトアニア語 ?odis…言葉の意)が収録されています。これらは1933年から1966年の間に書かれていて、スクリャビンの作風を継承する初期のスタイルからプロコフィエフやストラヴィンスキーの影響を受けながら少しずつ変容し、やがては彼独自の音楽的言語へと進化していく様子を見ることができます。オルガンで奏される幽玄な第2番、音が粒子のように飛び跳ねる第7番など、とても面白いものばかりです。(2012/07/11 発売)
レーベル名 | :Toccata Classics |
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カタログ番号 | :TOCC0134 |
リトアニアのピアニスト、作曲家ヴィタウタス・バチェヴィチウス(1905-1970)。20世紀リトアニア音楽界の先駆者であったにもかかわらず、その作品はほとんど知られていません。最近になってTOCCATAレーベルだけでなくNAXOSレーベルからもアルバムがリリースされ、作品の片鱗がわかるようになってきましたが、まだ彼の妹であるバチェヴィチの知名度には劣るのが実情です。もともとピアニストとして名声を博し、ヨーロッパからアメリカでコンサート・ツアーを行っていたところ、滞在先のアメリカで第二次世界大戦が勃発、文書が不備で帰国困難となったまま、リトアニアがソビエト連邦に併合されてしまったというエピソードを持つ人です。アメリカでは苦難の時を過ごしましたが、そんな中でも作品を書き続け、1967年にはアメリカの市民権を獲得、その3年後に亡くなっています。既発盤の第1集もユニークでしたが、この第2集には、ヴァレーズやヴォルペなど多くの作曲家の影響が窺われる作品も含まれています。(2016/10/21 発売)
レーベル名 | :Toccata Classics |
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カタログ番号 | :TOCC0328 |