2015/12/02
このたび、ハンヌ・リントゥ指揮フィンランド放送交響楽団のDVD/BDによるシベリウス交響曲全集がリリースされました。
シベリウスは有名な作曲家でありながら、映像作品として交響曲全集がリリースされることは今年に入るまでありませんでした。そこに登場したこの全集は、単なる演奏風景の収録のみではなく、リントゥ氏自らが各交響曲の成立過程を解説する映像や、またシベリウスの人となりや趣味嗜好、生い立ちをドラマ形式で描くドキュメンタリーも合わせて収録された非常に画期的な内容となっています。
このDVD/DB制作はどのようなきっかけで行われ、またリントゥ氏にはどのような思いで制作にあたられたのでしょうか。 11月に行われた、フィンランド放送交響楽団との来日公演の忙しい日程の合間を縫ってリントゥ氏にインタビューを行い、ご本人に大いに語っていただきました。
・制作のきっかけと、制作にかけた思い
この映像作品の制作のきっかけは数年前にさかのぼります。シベリウスの生誕150周年(2015年)に向けて、フィンランドのどのオーケストラも「何かしなければ」と思っていたのですが、われわれとしては、ヘルシンキで多数のコンサートを開くよりも、放送オーケストラとして映像作品を制作すべきではないかと考え、フィンランド国営放送に提案したところ、幸いなことに承認されたのです。これは、我々からのシベリウスに対する誕生日プレゼントであるともいえるでしょう。
私はこの映像制作はとても重要な仕事であったと認識しています。なぜなら、人々はシベリウスが実際にはどのように交響曲を作曲し、その音楽世界がどのようなものであるかを必ずしもよく知っているわけではないと思うからです。 たとえば1910年という年を考えてみると、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、シェーンベルクらが活動していましたが、シベリウスも彼らと同じ時代を生きており、彼らの音楽から影響を受けています。しかし、シベリウスがこれらの作曲家の存在と関係なく生きていたと思う人が多く、私はそのことを残念に思っていました。 たとえば彼の「交響曲第4番」について、きわめて私的な、かつ病みがかった音楽である、としか捉えていない人が多いようですが、この作品で彼は当時の表現主義の音楽に近づいているのです。彼は当時のベルリンでシェーンベルクやマーラーらの音楽を聴いており、彼らが何をしたかを知り、作品の上でそれに「反応」しています。しかし、最終的に彼は無調音楽は自分に合わないと考え、その後調性を使った作風へと再度方向を転換しました。このように、私はシベリウスを「歴史」と結び付けたいのです。それが、このドキュメンタリーを作った理由です。
また、勿論それに加えて紹介したかったのは、シベリウスの作曲のプロセスについてです。 シベリウスの作曲法はとても複雑なものでした。彼はどの交響曲も数年がかりの長い時間をかけて作曲し、たくさんの下書きが残されています。また同時に、その作曲法はとても変わったものでもありました。私は交響曲がどのように作られ、そしてその時に彼にどのような心理が働いていたかを少しでも紹介したいと思ったのです。
・ロケ地について
作品解説の映像は、歴史的な映像に加えてフィンランド国内以外にも、ベルリンやウィーンなど、シベリウスゆかりの様々な場所で収録されていますが、幸運なことに、この2年半の間、オーケストラとともに、これらのシベリウスゆかりの地に演奏旅行に行く機会があり、収録はその際に合わせて行われました。
・この全集の反響について
フィンランドではこの全集の映像が、フィンランドで最も多くの人が視聴するフィンランド国営放送「YLE1チャンネル」で放映されました。つまり、シベリウスという名前は知っているが、コンサートなどには滅多に行かないいわゆる「一般の方」たちがこの映像を観、シベリウスに対する理解を深めた、ということを私はとても重要なことと感じています。ですので、ぜひ音楽ファンのみならず、一般の皆様にも観ていただきたいと思います。
(インタビュー:2015年11月2日 すみだトリフォニーホール)