ラズモフスキー四重奏団
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初期ロマン派に属するスイスの作曲家フレーリヒ(1803-1836)の弦楽四重奏曲全集です。彼の父は治安判事で、両親は息子たちが法の道に進むことを希望したため(彼の兄アブラハム・エマニュエル・フレーリヒは高名な政治家となった)、彼も高校卒業後はバーゼルの大学で法学を学びました。しかし病に倒れた彼は音楽の道を志し、作曲のレッスンを受けるようになります。そして公立高校の教師の職を得ますが、結婚生活の疲れや、財政問題などを抱え、精神を病んでしまい、1836年にアーレ川に身を投げるという悲劇的な最期を遂げます。オーケストラ作品、室内楽作品などの存在が知られていますが、どれも作曲年代などがはっきりせず、その作品のいくつかは後世の人によって手が入れられているようです。しかし、作品のスコアがバーゼルの大学図書館に所蔵されているので、今後研究が進むものと思われます。ここで聴ける四重奏曲は、メンデルスゾーンを思わせる緊密な音楽です。(2016/04/27 発売)
レーベル名 | :CPO |
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カタログ番号 | :555017-2 |
バーゼルで生まれたアルベルト・メシンガーは幼い頃から音楽に興味を示すも、音楽を学ぶことを許されたのは20歳になってからでした。まずベルン音楽院で音楽理論とピアノを学び、ライプツィヒ音楽院に留学。ここで作曲をパウル・グレーナーに学びました。その後はミュンヘンで研鑽を積みましたが、経済的理由で中断。スイスに帰国後は、カフェハウスでピアニストとして数シーズンを過ごしながら、合唱曲、室内楽曲、管弦楽曲などを作曲。この時期の作品が後にスイスの音楽界で注目を浴びることとなります。1937年にはベルン音楽院でピアノと音楽理論を教えるようになりましたが、数年後には健康上の理由から職を辞し、スイス南部ヴァレー州のザースフェーで趣味の山歩きを楽しみながら、フリーランスの作曲家としての人生を送りました。1953年にはバーゼル市の音楽賞を受賞、音楽学者のハンス・エッシュから「近年におけるスイスの作曲家の中で最も多才で想像力に富んだ人物」と高く評価されています。作風はマックス・レーガーやリヒャルト・シュトラウスの影響を受けており、半音階的和声から無調、1956年頃からは12音も取り入れた音楽は独自の魅力を放っています。このアルバムにはいずれも世界初録音となる3つの作品を収録。弦楽四重奏曲第3番は、まるでモーツァルトの第15番の弦楽四重奏を思わせる開始部ですが、すぐに現代的な和声が加わり、この曲が20世紀の作品であることに気付かされることでしょう。第5番は「Colloqui 対話」と題された6つの楽章で構成され曲。彼が自信を喪失していた頃の作品ですが、仕上がりは素晴らしく、とりわけ1954年の改訂版は簡潔な形式と無駄のない音使いが特徴です。「ハニー・ビュルギ夫人のための葬送音楽」は彼を支援していた人物で、この曲は彼女が生前にメシンガーに委嘱していたもの。パウル・クレー作品のコレクターでもあった夫人の個性的な性格を音楽で表現しています。(2022/08/12 発売)
レーベル名 | :Musiques Suisses |
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カタログ番号 | :NXMS7006 |