ヒラー, フェルディナンド(1811-1885)
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フェルディナント・ヒラーはフランクフルトの裕福な実業家の家に生まれ、10歳からワイマールでヨハン・ネポムク・フンメルに師事しました。1829年から36年までパリで過ごした後、メンデルスゾーンと親交を結んだライプツィヒを中心に指揮者として活動しました。1850年にケルンに定住し、ケルンではギュルツェニヒ管弦楽団の指揮者を務め、ライン音楽祭を12回開催しました。彼の作品は一時期顧みられることはありませんでしたが、現在は再評価が進んでいます。ここに収録された2つの交響曲は激しくドラマティックな作風を示しています。交響曲ホ短調「それでも春は来るはずだ」はヒラーの唯一の出版された交響曲であり、最も成功した作品です。初演は1849年で、ニューヨークでも1858年に演奏されましたが、1871年のドイツ帝国統一後は忘れられてしまいました。19世紀の詩人エマヌエル・ガイベルが1841年に発表した詩「希望」からインスパイアされ、冬から春への移行が表現されています。ベートーヴェンやワーグナーの影響を受けつつも、独自の表題音楽のアプローチを試みたことを示しており、交響曲の伝統の中で重要な位置を占める作品と言えるでしょう。交響曲ヘ短調は、1832年10月に完成し、1833年12月に初演。批評家からは、第1楽章の風変わりな展開が批判されたものの、リズムが印象的な第2楽章や、牧歌的な雰囲気を持つのどかな第3楽章、ソナタ形式とロンド形式が融合した終楽章など、個性豊かな作品として仕上がっています。(2025/05/16 発売)
レーベル名 | :CPO |
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カタログ番号 | :555625-2 |
ドイツ・ロマン派に属する作曲家ヒラーのピアノ曲集です。フンメルに師事し、ピアニストとしての腕を磨き、1827年には最晩年のベートーヴェンに会い、最初の弦楽四重奏を作曲しました。メンデルスゾーンの親友であり、また「評論家」シューマンからはピアニストとしても作曲家としても賞賛されたというスゴイ人です。また、あのアルカンとも親交があったというのですから、19世紀のピアノ界において、真の実力者の一人であったことは間違いありません。彼はとても想像力が豊かであり、各々の曲には溢れるほどのファンタジーに満たされています。ピアニストのエーラーは、ブリュルやリースなど、古典派からロマン派へ推移する時代の作品を集中的に手掛けている名手。端正な作品にパッションを載せることで独自の世界を構築する人です。(2012/05/16 発売)
レーベル名 | :CPO |
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カタログ番号 | :777584-2 |
ドイツのロマン派時代に活躍したフェルディナント・ヒラー。10歳から作曲をはじめ、ヨハン・ネポムク・フンメルに師事、ピアニストとして才能を開花させるとともに作曲の腕を磨きました。以降、作曲家・指揮者としてヨーロッパ全域で名を馳せましたが、死後は残念なことにその名声が忘れられ、作品の演奏機会も失われてしまいました。このアルバムに収録された2つの作品、ピアノ四重奏曲第3番とピアノ五重奏曲はヒラーの円熟期である1860年代から70年代に作曲されたもの。ピアノ四重奏曲第3番は、ピアノ・パートの華やかさが際立つ、シューマンの影響を感じさせる劇的で創造力に富んだ作品。終楽章はイ長調に転じ輝かしく終わります。ピアノ五重奏曲はより抒情的で、第1楽章の主題が最終楽章にも現れて統一感を持たせています。初演時こそ高く評価されたものの、コンサート・レパートリーになることのなかったこれら不遇の作品を、ミンゲット四重奏団とオリヴァー・トリンドルが見事な演奏で聴かせます。(2022/05/27 発売)
レーベル名 | :CPO |
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カタログ番号 | :555312-2 |