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【インタビュー】「蜜蜂と遠雷 音楽集」に携わるプロフェッショナルたち ~ Vol.3 編集者・志儀保博さん

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発売日までいよいよあと少しとなった「蜜蜂と遠雷 音楽集」。
ナクソス・ジャパンでは、この制作に携わったキーパーソンにお話をうかがいます。
第3回目は、この本の編集を担当した、幻冬舎の志儀保博さん。
著者の恩田陸さんをサポートしながら、この小説が生まれる前から長年にわたって共に歩んできた志儀さんに、「蜜蜂と遠雷」誕生にまつわる制作秘話をうかがいました。


取材・文●劉優華



志儀保博

志儀保博●編集者
Yasuhiro Shigi

1965年、京都市生まれ。大阪府、愛知県育ち。幻冬舎の編集者。1987年、広島大学文学部卒業、徳間書店入社。1994年、幻冬舎入社。





インタビュー


 ────まず、志儀さんのお仕事について教えてください。小説の編集者とは、どんな役割なのでしょうか?

 小説の編集者は、作家が作品に集中しやすい、書きやすい環境をできるだけ整えるのが仕事です。取材に行きたいと言えば同行し、書くことに行き詰まっていたらとにかく会って話を聞き、時には食事をしたり、一緒に酒を飲んだり。本づくりにまつわるお金をすべて管理しているので本来的にはプロデューサーですが、同時に友人でもあり、下僕でもあり、恋人みたいなところもあります。

 直木賞の授賞式で、恩田さんが「一緒に伴走して付き合ってくれた編集者にお礼を言いたい」と語っていましたが、まさに“共に走る”という感じ。それはわたしのことだけではなく、これまで多くの本を共に手掛けてきた各社の担当編集者のことです。

 作家というのは非常に孤独なもので、その孤独の10分の1か100分の1くらいわかってあげられたら…と常に思っています。本というのは、基本的に誰かと一緒に読むのではなく、ひとりで読みますよね。読者もひとり、書き手もひとり、編集者もひとり。本を介する“3種類の孤独”があって、その内の3分の1が編集者の仕事です。

 実際は、わたしの仕事の中で小説の仕事は3割ほどです。幻冬舎新書の編集責任者として、新書のすべてのタイトルを考え、管理することがわたしに課せられている最も重要な仕事だと認識しています。これが4~5割で、残りの3割はノンフィクションやビジネス本、啓蒙書などを手掛けていて、経済や政治などのジャンルが多いです。ですから、自分を文芸の編集者だとは思っていません。


 ────志儀さんが編集者になったきっかけは?

 もともと小説家を目指していたので、小説家になる前にちょっと経験しておこう、というぐらいの気持ちで編集者になりました。編集者として作家をそばで見ていると、「これは大変すぎてとてもじゃないけどできない」と(笑)。学生時代は小説の中でも、特に純文学ばかり読んでいて、世の中に小説や文芸評論以外のものがあるということすら考えたことがありませんでしたね。

 最初に入った出版社では小説ではなく、一般書籍を担当していました。やり始めてみるとさまざまな発見があって、非常におもしろかったです。例えばダイエットの本を作った時に、「女性ってこんなに痩せたいという気持ちが強いのか」とか(笑)。一般書籍をやると、見出しもたくさん付けなくてはならないので、そこで培った見出しの付け方は、今でも役に立っています。


 ────恩田さんとの出会いについて教えてください。

 1995年、小社がいただき始めていた幻の書き下ろし小説「カタツムリの歯」の原稿の冒頭を、会社の先輩から読め、と言われて読み、作家と編集者として出会いました。

 実は、わたしは恩田さんにとって“初めての男”だったことがたくさんあるんですよ(笑)。今だったら考えられませんが、せっかく書いた1200枚ほどの書き下ろし小説作品(「カタツムリの歯」)の原稿を初めてボツにしたり、初めての連載を担当したり、初めての取材旅行に同行したり、飛行機嫌いな恩田さんを初めて飛行機に乗せたり、初めての文庫書き下ろし連載をしてもらったり…。他にも思い出せないほど、たくさんの“初めて”を共有してきました。恩田さんが新たなことにチャレンジする時の相棒が幻冬舎だった、ということでしょう。



志儀

インタビューなどにも常に同席する志儀さん。恩田さんを温かく見守る眼差しが印象的でした



 ────「蜜蜂と遠雷」の構想から、完成までの道のりについてお聞かせください。

 2006年に入ってすぐ、恩田さんが「今年浜松で国際ピアノコンクールがあるから取材に行ってみたい」と言い出しました。3年に1度開催されるコンクールなのですが、2003年の第5回コンクールで最高位を受賞したラファウ・ブレハッチというピアニストが、2005年に世界最高峰と言われるショパン国際ピアノコンクールで優勝したことで、小説のテーマとして興味を持ったようでした。

 取材に行ってすぐに書き始めるのかと思いきや、結局2年以上もまったく書かなくて…。これだけ時間を費やしたのだから、いつかは書くだろうと思いましたが、ようやく書き始めたと思ったら毎月雑誌にして2~3ページしか進まないので、歩みは本当にちょっとずつ。

 今までの恩田さんの作品の中でも、こんなにちょっとずつしか進まなかった作品は初めてじゃないでしょうか。普通はもっと早く終わるものなので、この作品はとにかく書き進めるのが大変だったんでしょうね。連載時は読者からの反響もほとんどありませんから、本として発売されるまでの8年間、ひたすら原稿を催促して掲載して…まさに、作家と自分だけの“密やかな対話”でしたね(笑)。


 ────長い連載の間、難しいこともあったかと思いますが、その中で志儀さんが編集者として心がけていたことは?

 曲の説明って、どうしても表現が似通ってきてしまいますよね。これだけたくさんの曲を、すべて違うように書かないといけない。それに挑戦しているから時間がかかるわけで…。そこが評価されている部分でもあり、努力しがいのある部分でもあり、一番の読みどころでもあるわけです。

 わたしが物語の内容に口出しすることはありませんが、長年連載する中で、「この後どうなるの?」「誰を優勝させるの?」といった話はしていました。恩田さんが「二次予選で風間塵を敗退させる」って言い出した時は、「さすがにそれはダメだ」と言いましたね。

 また、リストのソナタのところで、わけのわからない中世の物語みたいなのが出てきた時は「きっと苦肉の策で書きようがないんだろうなぁ」と思いましたが、「仕方ないけど、この手は1回だけにしようね」と言ったら、本人も「わかってる」と…(笑)。

 2016年9月に本が発売されてからはすぐに、読者の皆さまからたくさんの反響をいただきましたが、連載時は読んでいるのが作家と編集者と校正の人程度なので、わたしが“反響係”のような役割を果たしていました。編集者として心がけていたことは、できるだけ締め切りの日までに原稿をもらうことだけです。締め切りが守られたことは1度もありませんが…(笑)。


 ────志儀さんからご覧になった、この作品の魅力とは?

 この物語は人も死なないし、いじわるな人もいないし、あまり人を不快にさせるような要素がないことがたくさんの人に受け入れられた理由かなと思っています。熱気はあるけれど、気持ちの良い小説だと言いますか。作家としては、人間につきまとうドロドロを一切排除した小説を書きたかったようです。


 ────志儀さんはクラシックもお好きとのことですが、好きなピアニストはいますか?

 ロシアのピアニスト、ラザール・ベルマン(故人)です。中古レコード屋で見つけるたびに必ず買います。


 ────では最後に、この小説のファンの方にひとことお願いいたします。

 最後まで一気に読める小説です。きっと読んで元気が出ると思います。音楽好きな方はもちろん、そうでない方でも楽しめますので、どうぞよろしくお願いいたします。


志儀








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