第1回『サリエリ(サリエーリ): 序曲集』
『サリエリ(サリエーリ): 序曲集』
NAXOSレーベル
ミハエル・ディトリッヒ指揮/スロヴァキア放送交響楽団
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バロックから古典派にかけてのイタリア人作曲家は、シンフォニア(Sinfonia)を独立した交響曲ではなくオペラやバレエなどの劇作品、オラトリオやカンタータの序曲として書いた[註]。サリエーリはすべての劇作品で序曲に当たるシンフォニアを作曲し、その多くが単一楽章で、ソナタ形式を用いない。演奏時間は3~6分と短いが、音楽は多彩で、卓越した管弦楽法が聴き取れる。オーケストラに2管編成(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2本、ティンパニ、弦楽合奏)を多く用いたが、フルート、クラリネット、トランペットを含まない小編成の曲もある。また例外的に「トルコ風」の打楽器として、大太鼓、シンバル、トライアングルを用い、パリ・オペラ座のための作品では3本のトロンボーンも使用する。師グルックの改革理念に従い、劇の内容や特色を先取りして示すこともサリエーリの序曲の特色である。
[註]ディスク等では英語でOvertureと記されるが、サリエーリは序曲をSinfonia、フランス・オペラのそれをフランス語でOuvertureと称する。
Track 01
『護符』序曲
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1779年にミラノのカノッビアーナ劇場で初演した喜歌劇『護符』は、序曲と第1幕をサリエーリ、第2幕と第3幕をジャコモ・ルストが作曲した。その後みずから全曲を完成し、1788年ウィーンで初演したのが『護符』第2稿である。ここで演奏されるのは初演版の序曲を改作した第2稿の序曲で、楽器を増やし(フルートとクラリネット各2本を追加)、拍子とテンポ記号を変更して新たに楽譜を書いている。ニ長調、4分の2拍子、アレグロ。金管楽器を伴う明るく壮麗な開始部(0:00-)に続いて弦楽器が短い動機(0:16 -)を繰り返してパートを増やし、クレシェンドする。オーボエ独奏が新たな主題を提示する中間部(1:10 -)を経て冒頭の音楽を繰り返すが、弦楽合奏で開始し(1:58-)、色彩に変化をつけている。
Track 02
『エラークリトとデモークリト』序曲
1795年ウィーンのブルク劇場で初演された喜歌劇。古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスとデモクリトスを題材に、悲観論者(エラークリト)、偽学者の楽観論者(デモークリト)とその恋人の誤解を面白おかしく描く。後にサリエーリは「哲学的で滑稽な様式のオペレッタ」と位置づけ、序曲に「陽気と悲しみを混ぜ合わせ、二人の哲学者の気質(笑っているデモークリトと泣いているエラークリト)」を表現したと記している。変ロ長調、4分の3拍子、テンポ指定なし(アレグロと推測)。弦楽合奏の快活な音楽で始まり(0:00-)、不意に短調に転じて(1:06-)登場人物の性格の違いを暗示する。オーボエ独奏(1:15 -)やフルート独奏(2:41-)の明るい旋律を挟んで変化をつけ、華やかな曲調により劇への期待感を高める。
Track 03
『ファルマクーザのチェーザレ』序曲
1800年ウィーンのケルントナートーア劇場で初演された英雄喜歌劇。旅の途上海賊に襲われ、ギリシアのファルマクーザ島に捕らわれた若きチェーザレ[カエサル]が解放されるまでを描く。序曲は1778年ミラノ・スカラ座で初演した『見出されたエウローパ』序曲の転用で、クラリネット2本を加えて楽譜を新たに起こし、「海の嵐Tempesta di mare」と副題している。ニ長調、4分の4拍子、アレグロ・アッサイ。弦楽器とティンパニのトレモロによる開始部(0:00-)は、時化の海で波と闘う複数の船とその乗員を舞台で見せるための嵐の音楽描写である。疾風怒濤の音楽が後半部で徐々に鎮まる(3:27-)のは、船から海岸に降り立つチェーザレと奴隷たちの姿に対応し、劇の導入と緊密な結び付きを持つ。
Track 04
『一日成金』序曲
1784年ウィーンのブルク劇場で初演された喜歌劇。ダ・ポンテの台本作者デビュー作でもあるが、6回の上演で打ち切られ、再演もドレスデンで行われただけだった。序曲はニ長調、2分の2拍子、アレグロ。さまざまなモティーフを散りばめたユニークな構成で、ティンパニの規則的なリズムが印象的な開始部(0:00-)に続いて弦楽器や木管楽器が小刻みなフレーズを奏し(0:48-)、快活な雰囲気を醸し出す。オーボエ独奏の奏する主題をファゴットが受け継ぐ中間部(1:25-)で一息つき、壮麗な開始部に戻る(2:14 -)。ヴァイオリンの敏捷な動き(2:42-)とトランペットが長く延ばす音の対比(2:53-)が見事で、華やかに閉じられる。
Track 05
『奪われた手桶』序曲
22歳で作曲した1772年ウィーンのケルントナートーア劇場初演の英雄喜歌劇。神聖な手桶をめぐって中世に起きたモデナとボローニャの戦争と、その人間模様を滑稽に描く。序曲は二つの音楽で構成され、威風堂々たる序奏(ハ長調、4分の4拍子、アンダンテ・マエストーゾ)(0:00-)で中世の教会や時代をイメージさせる。続いて4分の2拍子、プレストの活気ある音楽に転じ、木管楽器の主題(1:20 -)を弦楽器と金管楽器が受け継いで進行する。だが、終盤に意表を突く形でハ短調、4分の4拍子、アンダンテ・マエストーゾとなり(5:21 -)、半終止のまま終わる(この演奏は終結部を追加しているが、サリエーリの原曲は5:57まで)。
Track 06
『オルムスの王アクスール』序曲
1787年パリ・オペラ座の初演で大成功を収めた『タラール』をヨーゼフ2世の命でイタリア語に改作し、翌1788年ウィーンのブルク劇場で初演した悲喜劇。台本を手掛けたダ・ポンテが登場人物の名前と題名を変更し、兵士ではなく専制君主を主役に据えたため、『タラール』とは劇のコンセプトが異なる。サリエーリが新たに書いた序曲はニ長調、4分の4拍子、テンポ指定なし(アレグロ・プレストと推測)。大太鼓とシンバルを交えた壮麗な音楽(0:00-)にさまざまな旋律を織り込み、後にサリエーリは、「残忍、英雄的、哀れっぽい要素を混ぜ合わせた。この三つの色彩がオペラ全体を支配するからである」と説明し、『タラール』のプロローグと第1幕の間に新たな序曲として挿入した。
Track 07
『ダナオスの娘たち』序曲(1784年パリ)
1784年パリ・オペラ座で初演されたサリエーリ最初のフランス語歌劇。物語は古代ギリシア神話に基づき、エジプト王アイギュプトスが自分の50人の息子を双子の兄弟ダナオスの50人の娘と結婚させろと迫る。ダナオスはアイギュプトスによって王座を追われた経緯を娘たちに話し、花婿全員を殺すよう命じるが、イペルムネストルは花婿ランセを救おうとする。序曲はフランス語でOuvertureと称され、管弦楽に3本のトロンボーンを加えている。ニ短調、2分の2拍子、アンダンテ・マエストーゾの序奏(0:00-)で悲劇的結末を暗示し、イ長調に転じた主部(0:41 -)は華麗な音楽で、穏やかに収束するかに思われるが、金管楽器の強奏でニ短調、プレストの疾風怒濤の嵐に転じ(4:22 -)、不穏な気配のまま閉じられる。
Track 08
『ガマーチェの結婚式でのドン・キショッテ』序曲
(1771年ウィーン)
1771年にウィーンで初演されたオペラ=バレエ。題材はセルバンテスの小説『ドン・キホーテ』の、ドン・キショッテ[ドン・キホーテ]とサンチョ・パンチャ[サンチョ・パンサ]が金持ちガマーチェと美女キッテリアの結婚祝宴に闖入した一場に基づき、振り付けを近代バレエの父ジャン=ジョルジュ・ノヴェールが担当した。序曲はニ長調、4分の4拍子、アレグロ・スピリトーゾ。20歳のサリエーリの音楽は瑞々しく、活力と才気に富む(0:00-)。中間部に4分の3拍子の優美なメヌエット(2:18 -)を挟んでバレエを伴う作品であることを示し、冒頭の音楽を改作した終結部(5:44 -)に至る。編成は各2本のオーボエ、ホルン、ファゴット、弦楽合奏と簡素だが、卓越した作曲の手腕を発揮している。
Track 09
『トロフォーニオの洞窟』序曲
(1785年ウィーン)
魔術師でもある哲学者トロフォーニオの住む洞窟には入ると性格が正反対になり、再び入ると元に戻る魔法がかけられている、という設定の喜歌劇。1785年ウィーンのブルク劇場初演。二組の恋人たちの性格が反転して騒動になるコミカルな作品で、サリエーリは「魔術的=喜劇的様式のオペラ」と位置づける。序曲は17小節の短い序奏と主部からなり、ハ短調、2分の2拍子、ウン・ポコ・アダージョの序奏で神秘的な洞窟のイメージを喚起する(0:00-)。ハ長調、アレグロに転じた主部は一貫して明るく華やか(0:55 -)で、サリエーリはその部分を「オペラ全体がそうであるように、すべて陽気(アレグロ)にした」と記している。
Track 10
『ムーア人』序曲
46歳の誕生日を目前に1796年8月7日ブルク劇場で初演した喜歌劇。イタリアのリヴォルノに屋敷を構えた海賊アッザン・アグは美人のイタリア娘を妻にしようと花嫁候補を募るが、アフリカから本妻ファティマが11人の子供と一緒に来ると知り、イタリア娘との結婚を諦めるという筋書き。序曲はハ長調、2分の2拍子、アレグロ。編成に大太鼓、シンバル、トライアングルを加え(0:59 -)、尊大な中にも軽妙快活な要素が織り交ぜたのは、アフリカ人の回教徒である主人公の性格を音楽で表したものと思われる。
Track 11
『アルミーダ』序曲
サリエーリ最初のオペラ・セリア。タッソの叙事詩『解放されたイェルサレム』を基に、魔女アルミーダの虜になった十字軍の騎士リナルドが彼女を拒絶し、戦場に復帰するまでを描く。序曲はハ短調、2分の2拍子、ソステヌート。低弦がピアニッシモで奏する主題で始まり(0:00-)、幽玄で神秘的な雰囲気を醸し出す。サリエーリによれば、ここで霧の中からウバルドが現われる。怪物が出現するアレグロとなり(1:42 -)、プレストに転じて激しい戦いが繰り広げられる(2:14 -)。やがて怪物が倒されると、ハ長調、4分の3拍子、アンダンティーノ・グラツィオーゾに転じ(4:37 -)、勝利したウバルドが岩山を登り、幕が開いて魔法の島が現れるまでが音楽で描かれる。自筆譜のホルン・パートの間に、「霧の暗闇に包まれたアルミーダの島へのウバルドの到着」で始まる舞台上のパントマイムが示されている[図版参照]。
『アルミーダ』序曲の冒頭頁(ウィーン国立図書館所蔵)
Track 12
『アンジョリーナ』序曲
1800年ウィーンのケルントナートーア劇場で初演された喜歌劇。貧しい青年レアンドロが叔父ヴァレーリオ男爵の遺産を得るため恋人アンジョリーナを淑やかな女性に仕立て、婚約させる。すると彼女は騒々しい女に変身して男爵を困らせ、レアンドロとの結婚を認めさせる。ディスクの解説に書かれていないが、録音されているのはサリエーリの歌劇《逆さまの世界》序曲である。ニ長調、4分の4拍子、マエストーゾ~アレグロ・プレスト(開始部)。音楽に勢いがあり、主部に二つの主題が弦楽器と木管楽器で示される(1:43-)と(2:40-)。オペラが他の都市で再演される際には第三者による序曲や楽曲の差し替えがなされ、ザクセン州立図書館などが所蔵する『アンジョリーナ』の筆写総譜にはこの序曲が掲載されている。
【執筆者】
水谷彰良 Akira Mizutani
1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。著書:『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻。東京書籍)、『ロッシーニと料理』(透土社)、『消えたオペラ譜』『サリエーリ』『イタリア・オペラ史』『新 イタリア・オペラ史』(以上 音楽之友社)、『セビーリャの理髪師』(水声社)、『サリエーリ 生涯と作品』(復刊ドットコム)。日本ロッシーニ協会ホームページに多数の論考を掲載。