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コラム:水谷彰良の「聴くサリエーリ」第6回




第6回
サリエリ(サリエーリ):
『オペラ・アリア集』
──アリアから入るサリエーリのオペラ(1)




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サリエリ(サリエーリ): オペラ・アリア集
 Deccaレーベル
 チェチーリア・バルトリ(メッゾソプラノ)/アダム・フィッシャー指揮/エイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団



ストリーミング

 NML/バナー




 ~アリアで知るサリエーリのオペラの魅力~
 オペラは「音楽(歌と音楽)」「文学(詩と散文)」「演劇(台詞を演じる劇や舞踏)」に備わる諸要素を複合的に取り込んだ特殊な芸術ゆえ、歌い演じられる舞台を見ないとその真価を知りえない。でも私たちがサリエーリ作品の上演に接する機会は絶無。今回はメッゾソプラノのチェチーリア・バルトリが2003年にリリースした『サリエーリ・アルバム The Salieri Album(オペラ・アリア集)』から最初期の5曲を選び、サリエーリのオペラへの導入としたい。
[註]曲名は国内盤CD(ユニバーサル・ミュージックUCCD1101)に準拠し、必要に応じて拙著『サリエーリ 生涯と作品』におけるオペラの邦題を[ ]内に沿えます。





Track 03
あなたにとってわたしは妻で恋人

~歌劇『ヴェネツィアの市』よりカッロアンドラのアリア



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『ヴェネツィアの市 La fiera di Venezia』は1772年1月29日ウィーンのブルク劇場もしくはケルントナートーア劇場で初演され、大成功を収めたオペラ・ブッファ(21歳で作曲。台本作家はジョヴァンニ・ガストーネ・ボッケリーニ)。大きな市が立って賑わうヴェネツィアを舞台に、金持ちのオストロゴート公爵から言い寄られた庶民の娘ファルシレーナが、公爵の婚約者カッロアンドラ女侯爵と協力して公爵をギャフンと言わせる楽しい作品である。これは第3幕第3景にカッロアンドラが歌うアリアで、オーボエとフルートの独奏が歌と絡んで協奏的な効果をもたらす(ハ長調、4分の4拍子、アレグロ)。アジリタと呼ばれる敏捷な歌唱法を駆使するコロラトゥーラのアリアはイタリア・オペラに不可欠な歌手の妙技だが、サリエーリは歌の技巧を全開させ、楽器と声が巧みに絡むカデンツァ(5:09-)もみずから作曲している。

歌詞大意:
あなたにとってわたしは妻で恋人。誠実でいてくださいね。そしたらあなたを敬愛します。思いやってくださるなら、わたしはダルマチアの先までもあなたについてまいります。

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『ヴェネツィアの市』カッロアンドラのアリアのカデンツァ(ウィーン国立図書館所蔵。上からフルート、オーボエ、ホルンI、ホルンII、歌唱部)






Track 05
それであなた様は良き夫として/
わたしは嫌でしてよ、そう、そこで演奏されるのは

~歌劇『花文字』よりリゾッタのレチタティーヴォとアリア



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『花文字 La cifra』は1789年12月11日にブルク劇場で初演されたが、ここで演奏されているのはサリエーリが19歳で作曲し、1770年謝肉祭にブルク劇場で初演した牧歌劇『無垢の恋L’amore innocente』からの転用曲である(イ長調、8分の6拍子、アレグロ・アッサイ)。第2幕第8景、レチタティーヴォ(0:00-)で「私の結婚式にはたくさんの人を招待し、盛大に祝ってくださいね」とおねだりしたリゾッタは、続くアリア(0:24-)の中で、ギターやザンポーニャみたいな庶民的な楽器は嫌よ、ほしいのはヴァイオリン、ハープ、オーボエ…と、たくさんの楽器を挙げる。「サルテーリ[ツィター]がほしいわ」と言うと(1:31-)弦楽器がこの楽器を模すなど、サリエーリは才気煥発にさまざまな楽器を音楽に組み込んでいる。

歌詞大意:
[アリア] わたしは嫌よ、バグパイプ、ピッフェリ、ギターやリュート、太鼓、リラ…なんて。欲しいのはヴァイオリン、ハープ、オーボエ、サルテーリ、ヴィオラ、チェロ、横吹きフルート、ファゴット、コントラバス、クラリネット、ティンパニ、トランペット、ホルンといった町中の楽器なの。







Track 08
いいえ、揺らぐことにはなりません/私の頭上に

~歌劇『盗まれた手桶』よりゲラルダのレチタティーヴォとアリア



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『盗まれた手桶[奪われた手桶]La secchia rapita』(1772年10月21日ケルントナートーア劇場初演)は前記『ヴェネツィアの市』の2つ後に作曲された英雄喜歌劇。天から与えられた神聖な手桶をめぐるモデナとボローニャの戦いとその人間模様を描き、台本作家ボッケリーニはメタスタージオの真面目な台本と歌詞をパロディ化している。サリエーリがシリアスな様式と喜劇的な音楽を混在させた見本が、第2幕第4景でロッカ・ディ・クラーニャ伯爵の妻ゲラルダが歌う「私の頭上に」である。レチタティーヴォ(0:00-)に続いてホルン、トランペット、ティンパニを伴う勇壮な前奏が始まり(0:25-)、オーボエ独奏が歌の主題を先取りする(ハ長調、4分の4拍子、アレグロ)。アリアに含まれる力強く華麗なコロラトゥーラはカストラート[去勢した男性歌手]が得意とした用法で、オーボエやトランペットが歌に合いの手を入れる。声と木管・金管楽器によるユニークな掛け合いカデンツァ(6:33-)は、「18世紀に書かれた最も奇妙なカデンツァの一つ」(ジョン・A・ライス)とされている。

歌詞大意:
[アリア] わたしの頭上に贈り物として、栄光が清純な花の冠を授けてくれるでしょう。わたしはヒマラヤ杉の玉座に座り、ペネーロペ、ルクレツィア、ヴィルジーニア……たちがわたしの名の近くで名誉を失うでしょう。わたしに比べたら、アルテミジアやヴェスタの巫女たちも取るに足りません。





Track 01
わたしはずたずたの帆掛け舟のよう

~歌劇『盗まれた手桶』よりレノッピアのアリア



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 前曲と同じ『盗まれた手桶』の第2幕第10景で女戦士レノッピアが歌うアリア(ニ長調、2分の2拍子、アレグロ・アッサイ)。これはメタスタージオがオペラ・セーリア台本に用いた激しく揺れる心のさまを嵐に翻弄される船に譬える隠喩のアリアのパロディで、サリエーリは卓越した管弦楽法で激烈な嵐を描写しつつ、短調への移行(0:42-)やかけ離れた音に飛び移る跳躍の技巧(1:49-)を用いて恐怖や戸惑いを音楽化している。

歌詞大意:
わたしはずたずたの帆掛け舟のよう、恐ろしい嵐で難破し、沈んでしまう。羅針盤も舵も役に立たない。あとは嵐に任せるほかない。恐怖を抱かぬ者だけが助かり、生き残るのだ。

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『盗まれた手桶』レノッピアのアリアの自筆譜(ウィーン国立図書館所蔵)






Track 13
では僕は彼女についてゆけぬのか/
あなたと離れては/もしや、あるいは/
僕のところへ来てくれ、黄金の翼に乗って

~歌劇『アルミーダ』よりリナルドのレチタティーヴォとアリア



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 1771年6月2日にブルク劇場もしくはケルントナートーア劇場で初演された『アルミーダArmida』は、サリエーリ初のオペラ・セーリア。物語はタッソの叙事詩『解放されたイェルサレム』を基に、魔女アルミーダの虜になった十字軍の騎士リナルドが彼女を拒絶し、戦場に復帰するまでを描く。第2幕第2景、リナルドは愛するアルミーダと離れる悲しみを合奏伴奏のレチタティーヴォで吐露し(0:00-)、平明で優美な旋律のアリアで「あなたと離れては生きていけません」と訴える(ト長調、4分の3拍子、ラルゲット)(1:12-)。そして新たなレチタティーヴォ(3:04-)で夢の中に彼女が現われることを願い、オーボエ独奏の叙情的な前奏をもつ第二のアリア「僕のところに来てくれ」となる(変ホ長調、2分の2拍子)(3:58-)。美しい旋律とこれに寄り添う柔らかな弦楽器の伴奏は、20歳のサリエーリがグルックの様式を完全に身に着けていたことの証である。

歌詞大意:
[第一のアリア] あなたと離れては、愛しい人よ、僕は生きていることができません。来ておくれ、そして甘い眠りの中で僕の目を閉じておくれ、愛神よ。
[第二のアリア] 僕のところへ来てくれ、黄金の翼に乗って、喜ばしい愛の夢よ。お前の中に、僕の心がささやかな慰めを見出せるように。






以上5曲は19歳から22歳の間に作曲され、オペラ・ブッファと牧歌劇は師ガスマン、オペラ・セーリアと英雄喜歌劇はグルックを手本に、それぞれの様式を完全に摂取したことが分かる。同じアルバムの他の6曲は、『焼きもち焼きの学校』[Track 02]が28歳、『一日にしてなった金持ち[一日成金]』[Track 07][Track 11]が34歳、『花文字』[Track 06]が39歳、『ペルシアの王女、パルミーラ』[Track 04][Track 09]が45歳と中・後期の作。すでに個性が確立されているので、旋律や形式の違いを聴き比べていただきたい。参考までに、『サリエーリ』旧版を執筆中に『レコード芸術』2003年12月号に寄稿した「当代随一の歌い巧者バルトリ アジリタ駆使の技巧的歌唱でサリエリ作品に挑む」の主要部分を次に掲載する。
[註]曲名は国内盤CDに準拠し、サリエリをサリエーリに変更。全文は日本ロッシーニ協会ホームページからご覧ください。


チェチーリア・バルトリ「サリエーリ・アルバム」を聴く



 サリエーリ? モーツァルトを毒殺した、あの凡庸な作曲家の?……サリエーリと聞いて真っ先にそう思った方は特別な人ではなく、むしろ常識人といえよう。映画『アマデウス』のインパクトがあまりに強かったので、ほとんどの人がフィクションを事実と信じたのだ。毒殺疑惑を事実無根と知る者も、凡庸な作曲家のイメージを捨てきれない。自信をもって傑作といえる作品を持たないのだから当然だ。だが『サリエーリ・アルバム(オペラ・アリア集)』には、そうした認識を根底から覆すエネルギーが備わっている。当代随一の歌い巧者バルトリゆえ、その新録音は常に注目を集めるが、今回は作曲家の意外性も手伝って驚きの一枚となった。……[中略]……収録された13曲のうち11曲が世界初録音。さまざまなタイプのアリアをバランスよく配したセンスも良く、イタリア・オペラ史の空白を埋める意味でも大きな意義がある。

 第1曲は22歳で作曲した英雄喜歌劇『盗まれた手桶』のアリア「わたしはずたずたの帆掛け舟のよう」。歌詞はメタスタージオの古風なスタイルのパロディで、激しく揺れる心のさまを象徴的に音楽化している。バルトリはこれを劇的な表現と息づかい、卓抜なアジリタ技巧[細かな音符を急速に歌うテクニック]で歌いあげる。

 グルックの影響を受けた簡潔で虚飾を排した旋律の見本は第2曲、生前イタリアで人気を博した喜歌劇『焼きもち焼きの学校』のナンバーである。管弦楽伴奏を巧みに使うレチタティーヴォと叙情旋律から、劇的な表情を引き出すバルトリの表現力に驚かされる。続く初期の代表作『ヴェネツィアの市』のアリアでは、華麗なコロラトゥーラが遺憾なく発揮される。これは声を独奏楽器とする協奏的ナンバーで、オーボエやフルートのソロと絡みつつ驚くべき超絶技巧が披露される。まさにバルトリの真骨頂ともいうべき1曲。その昔こうしたアリアを歌えた歌手が少なからずいた、という事実にも驚かずにはいられない。

 サリエーリがウィーン帝室管楽合奏団の組織者だったのを思い出させるのが、第4曲『ペルシアの王女、パルミーラ』のアリア〈希望をと言ってくださるけれど無駄でしてよ/哀れにも見捨てられ〉。木管アンサンブルの陰影豊かな響きだけを伴奏とする悲しみの表現は秀逸。一転して喜劇的センスの光るのが第5曲『花文字』のアリア。ここでは結婚式で演奏してほしい楽器をリゾッタが挙げると、管弦楽が丁々発止と応えていく。楽曲そのものは初期オペラ『無垢の恋』からの転用なので、サリエーリが19歳の若さですでに色彩的な管弦楽法を身につけていたことが判る。続く同じオペラのエウリッラのアリア(第6曲)は起伏に富んだ曲で、ここでも随所に木管アンサンブルが巧みに使われる。

 短いながらサリエーリの音楽的円熟を感じさせるのが、第7曲『一日にしてなった金持ち』ラウレッタのアリア。長調と短調の頻繁な交換と曲調の変化が巧みで、「悪魔」という言葉に呼応して突然テンポを速め、管弦楽が烈しく煽る緻密な作曲技法も使われている。このオペラにはモーツァルトの後期オペラを思わせる優雅で繊細な表情の名アリアがあり、このアルバムの第11曲に収録されている。不思議なことに、こうした音楽の真価は同時代のウィーンではまったく理解されなかった。台本作者ダ・ポンテみずから、このオペラでサリエーリが「美しい音楽をセーヌ川に埋葬した」と批判しているのだ。おそらく当時のウィーン人が好んだのは、第8曲『盗まれた手桶』のアリアのように、金管楽器やティンパニを伴う威勢のよい華麗な歌だったのだろう。こうしたアジリタを駆使する技巧的歌唱が観客の喝采を浴びるのは、過去も現在も同じなのだ。一方、庶民的な端唄が人々に受けたのも疑いえない。第10曲『いつわりの愚か娘』、第12曲『トロフォーニオの洞窟』のナンバーがそれだ。とりわけ洒脱な〈ラ・ラ・ラ〉におけるバルトリの歌い口の巧さは絶妙というほかない。

 最後に歌われる『アルミーダ』のアリアはカストラートのための楽曲で、一つのナンバーとして収録されているが、実際は「レチタティーヴォとカヴァティーナ」と「レチタティーヴォとアリア」の2曲から成る。カヴァティーナはグルック風の簡潔な様式で書かれ、オーボエ・ソロで始まる叙情的で優美な旋律と柔らかな弦楽伴奏は、20歳の作品とは信じられぬほどたおやかで、バルトリの端正で哀愁を含んだ歌声が音楽の美質を際立たせている。このアリアと第11曲だけでも、旋律家としてのサリエーリの早熟な才能を感得できるだろう。

 このアルバムを聴くと、サリエーリがモーツァルトの同時代者の中でも傑出したオペラ作曲家であったことが了解される。作風は後期ナポリ派の作曲家よりも多彩で、ウィーン前期古典派の管弦楽法にイタリアの旋律や歌唱技巧をほどよく混合した独自のスタイルを確立している。にもかかわらず、突出した個性に欠け、時代を突き抜けて私たちの心を揺さぶる音楽の深みが足りないのもまた事実である[註]。宮廷作曲家として秩序と均衡を尊び、自分の生きた時代だけのために作曲したがゆえに、サリエーリの音楽は消えざるとえなかったのだろうか。それとも彼の音楽に、私たちが失ってしまった古きよき時代の感触を取り戻すべきなのだろうか。これは容易に答えの出せぬ問題である。
(水谷彰良)

[註]:これは執筆当時の筆者の未熟な認識。現在はサリエーリが早期に個性を確立し、同時代の誰よりも傑出した作曲家であると考えています。






【執筆者】
水谷彰良 Akira Mizutani

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1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。著書:『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻。東京書籍)、『ロッシーニと料理』(透土社)、『消えたオペラ譜』『サリエーリ』『イタリア・オペラ史』『新 イタリア・オペラ史』(以上 音楽之友社)、『セビーリャの理髪師』(水声社)、『サリエーリ 生涯と作品』(復刊ドットコム)。日本ロッシーニ協会ホームページに多数の論考を掲載。






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