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コラム:水谷彰良の「聴くサリエーリ」第7回




第7回
サリエリ(サリエーリ):
『オペラ・アリア集』
──アリアから入るサリエーリのオペラ(2)




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サリエリ(サリエーリ): ブラヴーラ・アリア集 Arie di bravura
 Erato – Parlophoneレーベル
 ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)/ジェレミー・ローレル(指揮)/
ル・セルクル・ド・ラルモニー



ストリーミング

 NML/バナー




 ~アリアの超絶技巧に聴くサリエーリのオペラの魅力~
 チェチーリア・バルトリによる「サリエーリ・アルバム」に続いて、ソプラノのディアナ・ダムラウのアルバム「ブラヴーラ・アリア集 Arie di bravura」からサリエーリのアリアを中心に聴いてみよう。ここでのブラヴーラ(bravura)は器用や熟達を意味するイタリア語で、声楽では華麗な歌唱に用い、コロラトゥーラ(coloratura)[伊]は技巧的な音型や装飾、それを歌いこなす技術を指す。
[註]オペラの題名や役名は拙著『サリエーリ 生涯と作品』に準拠。国内盤CD(ワーナー・ミュージック・ジャパンWPCS-50391)は表記に問題が多く、採用しえない。





Track 03
神さま、安堵します~ああ、感じます

~歌劇『見出されたエウローパ』より
エウローパのレチタティーヴォとアリア



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『見出されたエウローパ Europa riconosciuta』はミラーノに新築された大公宮廷劇場(通称スカラ座)のこけら落としにサリエーリが作曲した2幕のオペラ・セーリア(1778年8月3日初演。台本作家はマッティア・ヴェラーツィ)。フェニキアの王族の末裔イッセーオの婚約者エウローパは、クレータの王アステーリオに誘拐されて妻となり、子を産んでいた。エウローパの父でテュロスの王アジェーノレは姪のセメレに王位を譲り、イッセーオもセメレとの結婚を承諾する。やがて封臣エジストの捕虜として祖国に戻ったエウローパを見た民衆は行方知れずの王女と認め、再会したイッセーオとの間に恋心が蘇る。だが二人は愛と義務の相克に苦しみながらも恋を断念し、エジストを倒したイッセーオがセメレと結婚して王位に就き、エウローパはアステーリオと共にクレータに帰国する。

 これは第2幕第3景にエウローパが歌うナンバーで、イッセーオに別れを告げた彼女はレチタティーヴォ「神さま、安堵します」(0:00-)で苦しい胸の内を吐露する。続くアリア「ああ、感じます、彼の苦しみが」(ト長調、4分の4拍子、アレグロ)(1:13-)は伸びやかな旋律で歌いだされ(2:00-)、徐々に技巧を高め、「胸を高鳴らせるpalpitare」のta-でアジリタと呼ばれる敏捷な歌唱法を駆使してコロラトゥーラを聴かせ(3:09-)、超高音f♯”’に駆け上がるパッセージも記譜されている(図版参照)。後半部も同じ語でより技巧を高めて華やかに歌われるが(4:18-)、カデンツァは終止形のみ記して歌手の自由に委ね、この録音でもダムラウがみずから挿入している(5:31-)

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『見出されたエウローパ』第2幕エウローパのアリアの自筆譜における超高音f♯”’に駆け上がるパッセージ(ウィーン国立図書館所蔵)






Track 12
怒りに震えるとき

~歌劇『見出されたエウローパ』よりセメレのアリア



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 同じ歌劇『見出されたエウローパ』の第2幕でセメレが歌うこのアリアは、前曲よりも高音域のコロラトゥーラを強調した楽曲。女性ソプラノ、フランツィスカ[フランチェスカ]・ルブルン(1756-91)の卓越した技巧を前提に作曲されている。当時彼女は22歳だったが、16歳でデビューし、コロラトゥーラ歌手としての評価が定着していた。

 曲は変ロ長調、4分の4拍子、アレグロ。歌を先取りする前奏(0:00-)でオーボエ独奏が活躍し、歌が始まると(1:45-)、すぐにアジリタを駆使する華麗なパッセージが現われる(2:13-)。後半部(3:47-)は超高音f”’が頻出する高音域にユニークな音型が聴かれ、ダムラウが華麗なカデンツァ(5:47-)を挿入して閉じられる。なお、この曲の自筆譜はウィーン国立図書館の総譜に含まれず、ミラーノのヴェルディ音楽院ノゼダ文庫の総譜が典拠とされる。







Track 10
優しい希望を感じます

~歌劇『セミラーミデ』よりセミラーミデのアリア



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 イタリアで最高の技巧を具えた歌手を前提に作曲された『見出されたエウローパ』では、当時の慣習としてカデンツァにフェルマータを付した終止形のみを記し(図版参照)、そこで何をどう歌うかは歌手のアドリブに委ねた(アドリブの語源は「任意に」を意味するラテン語「アド・リビトゥムad libitum」)。

   
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『見出されたエウローパ』第2幕エウローパのアリアにおけるカデンツァ



 けれども前回紹介したように、サリエーリはウィーンの宮廷劇場で初演した最初期の歌劇『ヴェネツィアの市』と『盗まれた手桶』(共に1772年)ですでに歌と複数の楽器が掛け合いする独創的なカデンツァを作曲していた。その用法は『見出されたエウローパ』の次のオペラ・セーリア『セミラーミデ』(1782年1月ミュンヘンの新宮廷劇場初演)にも踏襲される。第2幕第6景セミラーミデのアリア「優しい希望を感じます」(変ロ長調、4分の4拍子、アレグロ)もその一つで、音楽のコンセプトは前回取り上げた『ヴェネツィアの市』カッロアンドラのアリア「あなたにとってわたしは妻で恋人」と同様、前奏からフルートとオーボエが活躍するが、この曲ではファゴットを含む3つの独奏楽器により協奏的効果を高めている(0:00-)。金管楽器に各2本のトランペットとホルンを用い、歌とファゴットのパッセージの途中でホルンが入れる洒脱な合いの手もユニークである(1:50-)。歌の繰り返しで始まる後半部(3:39-)は自由に変奏され、前記の合いの手は木管楽器が担う(4:15-)。カデンツァに3つの独奏楽器とのユニークなやり取りが記譜されている点も重要である(5:35-)

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『見出されたエウローパ』エウローパのアリアのカデンツァより
(上からフルート、オーボエ、ファゴット、歌唱パート)





Track 01
怪しい蛮族の間で

~歌劇『クブライ、韃靼族の大汗』よりアルジーマのアリア



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『クブライ、韃靼族の大汗Cublai, gran kan de’ Tartari』は『オルムスの王アクスール』に続いて完成された全2幕の英雄喜歌劇だが、モンゴル帝国第5代皇帝クビライ[フビライ・ハン]を主人公とする題材がトルコ戦役の時世に不適切と判断され、上演されずに終わった。原因はジョヴァンニ・バッティスタ・カスティの台本に、同盟国ロシアの女帝エカテリーナ2世とその宮廷に対する風刺があったためとされる。

 これは第2幕第8景で歌われるベンガラの王女アルジーマのアリア(ト長調、4分の4拍子、アレグロ・モデラート)。サリエーリは『オルムスの王アクスール』でアスパージア役を務めたルイーザ・ラスキ[=モンベッリ](生年不詳-1789)を想定したらしく、技巧的なパッセージを多用して華やかに歌われ、シンコペーションで始まる部分(1:07-)も変化に富み、魅力的な音楽が続く。







Track 7
侮辱的な高慢さの

~歌劇『クブライ、韃靼族の大汗』よりアルジーマのアリア



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 前曲と同じ『クブライ、韃靼族の大汗』第1幕第8景で同じアルジーマが歌うアリア(ト長調、4分の4拍子、アレグロ)。こちらは2つの部分からなり、前半部(0:00-)は「軽蔑のアリア(アリア・ディ・ズデーニョ)と呼ばれる相手に対する憤慨や軽蔑の感情を表す歌で、打ち据えるような曲調に特色がある。4分の2拍子、ウン・ポコ・レントに転じた後半部(1:39-)ではオーボエ独奏の叙情的な旋律に導かれ、誰もが気高い心を持つと信じていました、と柔らかな弦楽器の伴奏で歌われる。







 以上、ダムラウのアルバムからサリエーリの5曲のブラヴーラ・アリアを紹介した。こうした技巧的なアリアはモーツァルト『魔笛』夜の女王のアリアが有名で、この録音でもダムラウが見事な歌唱を繰り広げる([Track 5][Track 6])。けれどもサリエーリ作品との比較では、1772年に16歳のモーツァルトがミラーノのスカラ座の前身に当たる大公宮廷劇場で初演した『ルーチョ・シッラ』(K.135)第2幕ジューニアのアリア「行きましょう、急いで」が適している([Track 8](2:32-))。そこでのコロラトゥーラ(3:49-)はスタッカートの上向音階と敏捷な三連音符の音型で構成され、三連音符は締め括りの部分でも多用される(5:41-)。モーツァルトはその後もこうした三連音符が連続するパッセージをコロラトゥーラの要に用い、カデンツァを割愛した。これに対し、サリエーリは主要音を囲む4つの音によるグルッペットgruppettoの連続をコロラトゥーラの要とし、音階を駆け上がる(もしくは駆け降りる)ヴォラータvolataや、かけ離れた音に飛び移る跳躍(サルトsalto)などさまざまな歌の技巧を組み入れ、バロック時代に完成された高度な声楽用法の後継者となっている。同じアルバムの『偽の馬鹿娘』ヴァネージアのアリア[Track 13]にも、そうした複合的コロラトゥーラの一端が聴き取れる(3:00-)




【執筆者】
水谷彰良 Akira Mizutani

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1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。著書:『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻。東京書籍)、『ロッシーニと料理』(透土社)、『消えたオペラ譜』『サリエーリ』『イタリア・オペラ史』『新 イタリア・オペラ史』(以上 音楽之友社)、『セビーリャの理髪師』(水声社)、『サリエーリ 生涯と作品』(復刊ドットコム)。日本ロッシーニ協会ホームページに多数の論考を掲載。






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