Home >

コラム:水谷彰良の「聴くサリエーリ」第10回




第10回
サリエリ(サリエーリ):
歌劇『タラール』




salieri_logo




サリエリ(サリエーリ): タラール』
Tarare

 Aparte レーベル
 クリストフ・ルセ指揮, レ・タラン・リリク
 ヴェルサイユ・バロック音楽センター合唱団 他


 

ストリーミング

 NML/バナー





歌劇
『タラール』

Tarare
プロローグと5幕のオペラ


台本:ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェ
初演:1787年6月8日 パリ、王立音楽アカデミー劇場(オペラ座)


『ダナオスの娘たち』『オラース家』に続いてパリで作曲された『タラール』は、台本と音楽の双方で18世紀の最も重要なフランス・オペラとなった。専制君主から民衆に支持される王への権力移譲という政治的メッセージでフランス革命を予見した点でも興味深く、台本作家ボーマルシェはこれに先立ち貴族階級に対する風刺と批判的言辞を盛り込んだ劇『狂おしき一日、またはフィガロの結婚』(1784年初演)により体制批判を強めていた。
 歌劇『タラール』は、パリのオペラ座(王立音楽アカデミー劇場)における伝統的なトラジェディ=リリック(抒情悲劇)の様式を踏襲してプロローグと5幕から成り、バレエを伴うが、物語は独創的で、堕落した人間界を見かねた自然の神と火の神が一人を専制君主、もう一人を兵士とすべく新たな人間を創造するプロローグに始まり、人間の偉大さは地位ではなく性格で決まる、との教訓が導かれる。最初にあらすじを掲げておこう。




salieri_logo

台本作家 ボーマルシェ


【プロローグ】
人間界の混乱を見かねた〈自然〉と〈火の神〉[ソプラノとバス]は、新たに二人の人間を創ることにした。その一人はアジアの皇帝となるべく定められたアタール、もう一人は兵士となるべく定められたタラールである。神々は、40年後に彼らがどうなるか見ることにする。

【第1幕】
 ペルシアの海岸に臨むオルムスの皇帝アタール[バス]の宮殿。残酷な専制君主の皇帝は、イタリア人奴隷で宦官のカルピージ[劇中の発音はカルピジー。高声テノール/オート=コントル]から、勇敢な軍将タラール[テノール]が兵士たちに愛されていると聞かされる。嫉妬にかられた皇帝は、バラモン教の大祭司アルテネ[バス]の息子アルタモール[バス]を使ってタラールの家を焼き払わせ、その妻アスタジー[ソプラノ]を誘拐して後宮に幽閉した。それを知らぬタラールが皇帝の前で、敵に家を焼かれ、奴隷たちが殺されたと嘆くと、皇帝は屋敷と100人の女奴隷を与えようと答える。それでもアスタジーを愛するタラールが嘆き悲しむと、皇帝は「それは誰のことか?」ととぼけ、「兵士が女一人のことで泣くとは!」と嘲笑する。そしてタラールが敵国に妻を誘拐されたと信じると、彼を殺す命を受けたアルタモールを復讐の旅に同行させる。

【第2幕】
王宮と寺院の前の広場。大祭司アルテネが皇帝アタールに面会し、異国の野蛮人(キリスト教徒)が国を脅かしていると告げる。敵に勝つためには優れた将軍が必要と言われた皇帝は、タラールではなく大祭司の息子アルタモールを選ばせることにする。一方カルピージと再会したタラールは妻がイルザの偽名で後宮にいると教えられ、彼女を取り戻す決意を固める。バラモン教の儀式が行われ、大祭司は子供の予言者エラミール[ボーイソプラノ]にアルタモールの名を言わせようとするが、意に反して予言者の口からタラールの名が告げられる。民衆と兵士たちが歓喜し、怒ったアルタモールはタラールに決闘を挑む。

【第3幕】
 後宮の庭。決闘でアルタモールが倒されたと知ったアタールは、祝典を開いて人々の前でアスタジーを王妃にしようと決め、奴隷たちに歌と踊りを命じる。バレエと合唱に続いて歌を求められたカルピージは、歌手となるべく去勢された自分が海賊に捕われ、奴隷として売られた経緯を歌うなか、命の恩人タラールの名を口にする。それを聞いて一同驚きの声をあげ、失神したアスタジーが運び出される。その間タラールは後宮の庭に忍び込み、カルピージの助けで口のきけない黒人に変装する。戻った皇帝は見知らぬ黒人に死刑を命じるが、すぐに気が変わり、アスタジーへの罰としてこの黒人を彼女の夫に与えようと思いつく。

【第4幕】
 絶望したアスタジーは死を望み、カルピージの妻の女奴隷スピネット[ソプラノ]に慰められる。そこにカルピージが来て、王がアスタジーを後宮にいる口のきけない男の妻にするよう命じたと告げる。アスタジーの求めで衣装を交換したスピネットはタラールと対面してアスタジーに成りすまし、タラールに忠誠を誓う。だが、再び気が変わった皇帝の命令で兵士たちが来て口のきけない男を逮捕するので、カルピージは彼がタラールであると明かし、権力を乱用する者はみずからを滅ぼす、と暴君を非難する。

【第5幕】
王宮の中庭に用意された処刑場でタラールとアスタジーが再会し、残酷な皇帝はアスタジーにタラールの処刑を見せようとする。アスタジーが夫と共に死ぬ決意をすると反乱兵士たちが乱入し、民衆と軍隊も彼らに同調する。タラールは「私は王の臣下であるぞ」と言って彼らを制するが、民衆は「タラール、タラール」の叫びをあげる。「余は、まだお前たちの王であるか?」と問うた皇帝は民衆に否定され、絶望のあまり短刀で自害する。民衆はタラールの戴冠を求め、彼はこれを辞退するものの、人々の声に従ってそれを受け入れる。すると雲に乗った〈自然〉と〈火の神〉が現われ、この物語の教訓を「人間の偉大さは地位ではなく、性格によって決まるのです」と厳粛に述べる。







音楽と聴きどころ

サリエーリは色彩的な管弦楽法を駆使し、シンバルや大太鼓などトルコ風の打楽器を伴う第1幕の序曲(Track 9)、合唱曲(Track 10と30)、バレエ音楽(Track 33)を作曲した。劇はグルックの先例に倣って雄弁な管弦楽伴奏レシタティフ[レチタティーヴォ]で進められ、アリアに当たるエールの大半は前奏無しに始まるフランス風の短い歌の形式だが、イタリア様式のアリアもある(Track 21)。中でもユニークなのが、歌手となるべく去勢された喜劇的なイタリア人奴隷カルピージのクプレ〈私はフェッラーラで生まれ〉(Track 42)の軽妙で庶民的な旋律である。『ダナオスの娘たち』『オラース家』との決定的な違いはこうしたフランスとイタリアの様式的混交にあり、悲劇と喜劇を混合させるボーマルシェの意図も見事に実現されている。





プロローグ



salieri_logo

ナクソス・ミュージック・ライブラリー試聴ボタン
♪非会員は冒頭30秒を試聴できます♪



[Track 1] 嵐を描写する激しい序曲 (ハ長調―ハ短調、4分の4拍子、アレグロ)。最高潮に達すると終止せず〈自然〉がドラマティックに歌い始め(2:28-)、〈風の合唱〉が応じて嵐が鎮まる。

[Track 2] 〈火の神〉と〈自然〉が変化に富む音楽で対話し、新たな人間を創造する意図が示される。

[Track 3] 生成途中の男女の〈影〉の合唱が、漠然と感じる喜びを柔らかな旋律で歌う。

[Track 4] 創られた人間の無関心な態度に、〈火の神〉と〈自然〉は感性豊かな人間が必要であると表明する(1:26-)

[Track 7] アタールが王、タラールが兵士になると告げられ(0:00-)、〈自然〉は彼らに対し、平等に生まれながらも社会の中で不平等となることを受け入れよ、と歌う(1:20-)

[Track 8] 〈自然〉が40年後の彼らを見てみようと言い、〈空気の精〉の合唱が永遠の知恵を称える。






第1幕



salieri_logo



[Track 9] トルコ風の打楽器を伴う序曲 (ニ長調、4分の4拍子、アレグロ・プレスト) (0:00-2:19)。アタールとカルピージの対話が続く。

[Track 10] 後宮の奴隷たちの華やかな合唱(0:00-1:35)。続いて連れ出されたアスタジーは自分の運命を嘆きながらも、決然と皇帝を非難して気を失う。

[Track 11] 怒ったアタールは奴隷の一人を殺し、目覚めたアスタジーにイルザの名を与えて後宮に連行させる。見張りを命じられたスピネットは、アスタジーが王の愛を受け入れるようにすると歌う(1:38-)

[Track 13] タラールの嘆きを聴いた皇帝アタールによる傲慢な態度のエール(0:51-)

[Track 14] 妻アスタジーへの思いを歌うタラールの、甘美な旋律のエール(0:00-1:51)

[Track 15] 尊大で傲慢なアタールのエールとタラールの嘆願(0:00-2:34)

[Track 17] 独りになったアタールが勝利を確信して歌う、短いながらも変化に富むエール。






第2幕



salieri_logo



[Track 21] 民衆を集めて壮大な儀式を求める壮麗なアタールのエール(1:15まで)と、対照的な曲調による大祭司アルテネの厳粛な管弦楽伴奏レシタティフ。

[Track 22] 独り物思いにふけるタラールのエール。長調の希望に満ちた短い祈りの歌。

[Track 24] 妻がイルザの偽名で後宮にいると知ったタラールが、彼女の救出を誓う力強いエール。

[Track 26] ゆったりとしたテンポでアルテネが歌う、グルック風のエール(1:07まで)

[Track 27] フランス風の行進曲、アルテネの力強い朗誦、全員の合唱、子供の予言者エラミールを交えた劇的な構成による一場。

[Track 29-30] タラールとアルタモールの対立を巧みに表すレシタティフと、トルコ風の打楽器を交えた華やかな全員合唱。






第3幕



salieri_logo



[Track 32] アタールの親衛隊長ユルソンによる、管弦楽伴奏付きのドラマティックなレシタティフ。タラールとアルタモールの決闘の模様を変化に富む音楽で物語る。

[Track 33] トルコ風の打楽器を交えた華やかな音楽に続いて祝典の準備が命じられる。

[Track 34-35] 行進曲に乗せて宮廷人が登場し、祝祭的な余興の始まりを告げる合唱とアンサンブル。

[Track 36-39] 余興のバレエ音楽の間に、女の羊飼いと農夫による劇中劇と舞踏が演じられる。

[Track 40-41] アタールの命令で王妃となったイルザを称える合唱と、これを祝うバレエ(1:48まで)

[Track 42] バルカロール(舟歌)のリズムでカルピージが自分の身の上を歌うイタリア風の明るく洒脱なエール。効果的なフルート独奏と合唱の華やかなリフレインを伴う名曲だが、タラールの名前が発せられ(4:04-)、状況と音楽が一変する。

[Track 43-44] カルピージと再会したタラールによる、表現豊かで変化に富むレシタティフと対話。

[Track 45-46] アタールの劇的な関与とカルピージとの対話を経て、タラールの独白で閉じられる。






第4幕



salieri_logo



[Track 47] 絶望したアスタジーがパセティックな前奏で語り歌う劇的なエール(0:00-2:41)

[Track 50] スピネットとタラールの、変化に富む音楽による対話と重唱。

[Track 52] 暴君に対する怒りを爆発させるカルピージの、真摯で激しいエール。






第5幕



salieri_logo



[Track 53]「ついにお前は死ぬのだ!」と勝利を確信したアタールの力強いエール。短いイタリア風の前奏と後奏を持つ、フランス風のドラマティックな歌。

[Track 55] アタールを非難するタラールの毅然としたエール。

[Track 57] 神に慈悲を請う奴隷たちの葬送合唱(0:00-)と、アルテネの高貴な祈り(1:25-)からなる感動的な楽曲。

[Track 58] タラールと再会したアスタジーがアタールを非難するエール(0:39-)

[Track 59-60] 死を覚悟したタラールとアスタジーの甘美な重唱で始まり、乱入した兵士たちの合唱、アラールの自害を経てタラールが王の座を受け入れるプロセスを描くドラマティックな一場。

[Track 61-62] 偉大な王タラールを称える輝かしい歓喜の合唱。後半で幽玄な音楽に転じ、〈自然〉と〈火の神〉が登場する。壮麗な管弦楽と合唱を挟み、2人の神がユニゾンで力強く教訓を唱和する。







付記

 1787年6月8日パリの王立音楽アカデミー劇場(オペラ座)で行われた初演は大成功を収め、その独創性から「『タラール』はドラマと歌の怪物であり、誰もこのようなものをかつて観たことがない」と評された。フランス革命勃発後の1790年にはボーマルシェが最終幕に『タラールの戴冠』を加えたヴァージョンも作られ、1826年までに合計131回の上演がオペラ座で行われた。
 これとは別に、ウィーンでヨーゼフ2世が命じて作らせたイタリア語版『オルムスの王アクスール Axur, re d’ Ormus』(1788年ブルク劇場初演)もある。これは台本作家ダ・ポンテが危険思想を薄めて改作し、〈自然〉と〈火の神〉によるプロローグと最終場が除去され、サリエーリも音楽を差し替えて別種のオペラとなっている。『オルムスの王アクスール』はヨーゼフ2世が最も愛好するオペラとなり、映画『アマデウス』の中でも初演に列席したヨーゼフ2世が、「この作品は今までに書かれた最高のオペラだ」「君は音楽という宇宙の輝ける星、ウィーン市民と私の誇りだ」とサリエーリを称える。


salieri_logo

『オルムスの王アクスール』全曲はこちらから



salieri_logo

『タラール』初版総譜のタイトル頁(パリ、1790年。北テキサス大学図書館所蔵)





salieri_logo

『タラール』の舞台想像図(19世紀のピアノ伴奏譜より)








【執筆者】
水谷彰良 Akira Mizutani

salieri_logo

1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。著書:『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻。東京書籍)、『ロッシーニと料理』(透土社)、『消えたオペラ譜』『サリエーリ』『イタリア・オペラ史』『新 イタリア・オペラ史』(以上 音楽之友社)、『セビーリャの理髪師』(水声社)、『サリエーリ 生涯と作品』(復刊ドットコム)。日本ロッシーニ協会ホームページに多数の論考を掲載。


【講演会のご案内】
水谷彰良 講演会「モーツァルトに消された宮廷楽長サリエーリの再評価」
期日 2月25日(火)開演14:00(開場13:30)
会場 東京文化会館 4F大会議室(上野)
主催 日本モーツァルト協会
会費 日本モーツァルト協会会員1,000円/一般1,500円
※要事前予約。お申し込みは日本モーツァルト協会事務局への電話、ファクスeメールにて。
Tel:03-5467-0626 Fax:03-5467-0466 メール:info@mozart.or.jp







アントニオ・サリエリ アーティストページにもどる



水谷彰良の「聴くサリエーリ」トップページにもどる