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【インタビュー】「蜜蜂と遠雷 音楽集」に携わるプロフェッショナルたち ~ Vol.1 イラストレーター・杉山巧さん

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発売日までいよいよあと少しとなった「蜜蜂と遠雷 音楽集」。
ナクソス・ジャパンでは、この制作に携わったキーパーソンにお話をうかがいます。
第1回目は、鮮やかな色彩感あふれる装画を手掛けた、イラストレーターの杉山巧さん。
絵を描き始めたきっかけから、プロとして活躍する現在に至るまでを、穏やかな語り口で語ってくださいました。


取材・文●劉優華
取材協力●ロージナ茶房



杉山巧

杉山 巧●イラストレーター
Takumi Sugiyama

1983年生まれ。静岡県出身、東京都在住。
第134回ザ・チョイス準入選、第141回ザ・チョイス入選。
2008年、荻窪「ひなぎく」にて初個展。2015年、HBギャラリーにて個展。
HBファイルコンペvol.26「鈴木成一賞」受賞。現在紙媒体等にて活動中。
ウェブサイト: http://www.inori-books.net/





インタビュー


 ────まず、杉山さんがイラストレーターを目指すようになったきっかけを教えてください。

 高校卒業まで、ほとんど絵を描いたことがありませんでした。美術部に入っていたわけでもなく、ずっと帰宅部で。高校を卒業する時に、姉が通う大学を何となく受けたのですが、落ちてしまって(笑)。なぜか、僕も親も当然受かるだろうという根拠のない自信があって、アパートまで契約してしまっていたんです。そこで急遽、近隣の専門学校を受験すべく調べたら、いくつかの学校があり、「その中から選ぶとすれば、デザインかなぁ?」という位の気持ちで試験を受けました。その時の試験は面接と作文だけ。作文のテーマも、ひとつはデザインに関する内容だったのですが、デザインに対する意見もない状態だったので、もうひとつの「オリンピックとパラリンピック」という題を選んで書いたと思います(笑)。


 ────なるほど、子供の頃から憧れていたわけではなく、受験の失敗がきっかけだったんですね!そこから、本格的に志すようになるまでは、どのような道のりだったのでしょうか?

 入学後、少しずつ絵を描くようになりましたが、最初は何となく描いているような状況でした。でも2年に上がった時に先生に強く勧められて本気で絵に取り組むようになりました。すると19歳の時、とあるコンテストに応募したら、たまたまそこで出会った雑誌のアートディレクターの方が、僕の作品を気に入ってお仕事をくださったんです。初めて自分が描いた絵に対してお金をいただいたのですが、正直その時は「絵は意外と仕事になるんだな」という感覚で…。当時はまだ何にもわかっていなかったんですね。

 卒業後、東京に出て来てみると、周りは上手くてやる気のある人たちばかり。あまりのレベルの高さに衝撃を受けました。そこから2~3年はアルバイトをしながらひたすら作品を描き溜め、2005年に「イラストレーション」誌(玄光社)が主催する誌上コンペ「ザ・チョイス」に応募したところ、入選してようやく少しずつお仕事をいただけるようになっていきました。

 ところが、それまでは自由に描いていて、下書きすらまともにしたことがないような状態だったので、イラストレーションの仕事をうまくこなせなくて…。クライアントが求めることに答えられていないということを痛いほど感じて、そのうち仕事を受けることすら怖くなってしまいました。だんだん精神的にも限界を感じるようになり、2008年に一度絵をきっぱりやめて地元に帰ったんです。


 ────大きな決断をされましたね。ふたたび絵を描くようになるまでどうされていたのですか?

 地元に戻ってからは、絵とは関係のない仕事をしていたのですが、やはり後悔もありました。もうちょっと工夫の仕方があったんじゃないか、もっといろいろできたのに…という気持ちがどんどん募り、それならあと少しだけがんばってみようと、2010年3月にふたたび上京して来ました。「とにかくクライアントに満足していただけるような仕事をしてみたい」という想いで仕事に取り組み、2~3年後には何とか絵の仕事だけで生活していけるようになっていきました。

 ところが、仕事は軌道に乗ったものの、クライアントに満足していただくことばかりを考えていたために、今度は“自由に描く”ということがわからなくなってしまって。妻からも「仕事以外の絵を描いてみたら? もっと大きい絵の方が向いているのでは?」とアドバイスされましたが、その時はすでに描けなくなってしまっていて、とても苦しい時期でした。

 そんな時に、HBギャラリーから個展のお誘いをいただきました。「これをやらないともう描けなくなる」と感じて、自分が楽しいと思う絵、納得いく絵を描こうと1年間描き続けました。これまでの仕事の絵とは大きく違ったタッチで、がっかりされた方もいらっしゃるかもしれませんが、この個展がきっかけで、自由に描く楽しさを取り戻せたような気がしています。

 また、この時に描き溜めた作品で挑戦したHBギャラリー主催のコンペで、装丁家の鈴木成一さんが選ぶ賞をいただけたことも、大きな転機となりました。 雲の上のような存在だと思っていた鈴木さんに選んでいただけたことは、信じられないほどうれしい出来事でした。



杉山



 ────鈴木さんは、「蜜蜂と遠雷」の装丁を手掛けていらっしゃいますね。では、その時の出会いが「蜜蜂と遠雷」の装画につながったのでしょうか?

 そうなんです。受賞者の副賞として、2016年夏に個展を開催できることになり、「蜜蜂と遠雷」の表紙となった「群生」という作品のベースとなった絵も展示したところ、鈴木さんもこの絵が印象に残ったそうで、ある日「主人公・ 風間塵の演奏から浮かぶ情景を描いてほしい」というご依頼をいただきました。

 この絵は、筆を使わず、適当な大きさに切ったボール紙に絵の具を付けて、 スタンプのように押したりこすったりして描いています。最初に描く面と構図だけ決めて、絵の具を付けた紙を叩きつける、という感じで。描く時は自分が感じる内面的なものを重視しています。

 そういえば、マサルがバルトークのピアノ・ソナタを演奏するシーン(第3次予選)で、「叩く――叩く。人間が根源的に持っている、叩いて音を出し 感情を表現するという欲望……」という一節がありましたよね。僕の絵もその “叩く”という部分に共感する部分があって、自分のエネルギーや気持ちをぶつけたくて描いているというか、叩くことで出てくる何かがあるような気がするんです。

 僕が感じた“風間塵”は、こともなげに激しいことをする天才。彼の演奏をイメージした時、ただ美しいだけの絵ではなく、きれいな花の中で虫が死んでいたり、花が枯れていたり、自然の残酷さや激しさを表現したいと思いました。



作業1 作業2

作業中の杉山さん。ボール紙に絵の具を付け、スタンプを押すように色を重ねていくのだそう。



 ────完成までに一番苦労したところは?

 実は、最後にこれ!と決まるまでに、全部で8枚描いて4回やり直しています。最初に依頼を受けた時、「『群生』をベースにした、音楽的カタルシスが感じられる絵を描いてほしい」と言われたんですね。僕はまず風景ベースの絵を1度目に提出したら、「これだと普通すぎる」と。次に描いたのは「激しすぎる、 もっとカタルシスに満ちたものが良い」と。そこでようやく、もっと「群生」 に近いものをイメージされているんだなとわかってきて、その後2回程やりとりがありました。

 計4回提出し、ようやくOKが出ましたが、この本が発売されてからもずっと不安な気持ちはありました。鈴木さんから、「これは恩田さんの大作だから、心して描いてほしい」と言われていたので、プレッシャーも感じていましたし…。直木賞を受賞したと聞いて、「足を引っ張らなくて済んだかなぁ」と本当にほっとしました。



群生

「蜜蜂と遠雷」の表紙を飾った絵の元絵となった「群生」



 ────最後に、「蜜蜂」ファンの皆様にひとことお願いします!

 一度最後まで全部読み終わってから、もう一度絵の方も見ていただければうれしいです。



神輿日和 藤棚








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*インタビューVol.2 装丁家・鈴木成一さんはこちら

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*インタビューVol.3 編集者・志儀保博さんはこちら

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