WEB4コマ漫画「運命と呼ばないで」のメインキャラクターの1人、
イグナーツ・シュパンツィヒ(シューパンツィック)。
見た目もまんまる。中身もまんまるな
愛すべきおデブヴァイオリニストの魅力を徹底解剖!
シュパンツィヒ(シューパンツィック)が主役のコンサート開催!
「レクチャー&室内楽」ヘルスベルク楽団長とウィーン・フィルの仲間たち ベートーヴェンのヴァイオリン奏者、イグナッツ・シューパンツィック ~その生涯と初演した室内楽曲~ シュパンツィヒ(シューパンツィック)に関する楽しいおはなしをきかせてくれる同コンサート。 「運命と呼ばないで」読者ならニヤニヤ必須です! |
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アダ名は「デブ」←直球、「ファルスタッフ卿」など |
でっぷりしたまんまるおなかがトレードマークなシュパンツィヒ。若い頃は結構ハンサムだった…という一部証言もありますが、食欲は年を経るにつれて増す一方、とうとう商売道具の指までまんまるになる始末。そんな彼のことをベートーヴェンは「デブ」←直球 だの「ファルスタッフ卿(シェイクスピアの戯曲に登場する太った騎士の名前)」だの、おかまいなしに呼んでいたとか。なんと、シュパンツィヒのふとっちょぶりをけなす(称える?)ネタ曲(WoO.100「デブ礼賛」)まで書いています。
ベートーヴェンとの出会いのきっかけは…? |
ベートーヴェンがウィーンにやってきたのは21歳の時。生粋のウィーン子のシュパンツィヒは、恐らくベートーヴェンより早く、リヒノフスキー侯爵のサロンに出入りしていたといわれています。神童好きの侯爵の屋敷には、才能のある弦楽器奏者の少年が何人もおり、ハイドンやモーツァルトの室内楽作品を演奏していました。面倒見のよかったシュパンツィヒは、いわば、その少年たちのリーダー的な役目をつとめていたとか。ベートーヴェンは、彼ら少年たちの演奏を通して、さまざまな作曲家たちの音楽に触れたといわれています。
それだけでなく、一時期は、ベートーヴェンがシュパンツィヒからヴァイオリンを教わっていたこともあるようです。しかし、その成果は…(略)。
ベートーヴェンとは、お互いを「奴(やつ)」と呼ぶ仲 |
仏頂面で不器用な青年ベートーヴェンと、彼より6歳年下で、少年弦楽器軍団(?)のボス格だったシュパンツィヒ。彼らがいかにして親しくなり、そして「悪友」になったのか…?そのヒントが、彼らの互いの呼び方に隠されているかもしれません。実は彼ら、相手のことをしばしば「奴/Er(=英語でいうHe)」と呼び合っていたそうです。これは、時代劇で、お代官様が格下の商人に向かっていうような「そち(もワルよのう)」というような、古い呼びかけの言葉をマネした感じのニュアンスなのだとか。
シュパンツィヒは、こんないかにも「バカ男子」っぽいおふざけを仕掛けて、気難しいベートーヴェンの心を解いた、のかもしれません。
(※ 「Er」の解釈は@schnitzel_san からご意見を頂戴しました)
シューベルトもシュパンツィヒをリスペクト!? |
シュパンツィヒの優しい人柄、親しみやすいまんまる体型(?)、そして豊かな才能は、ベートーヴェンや周辺の弦楽器奏者のみならず、あらゆる後輩アーティストたちから尊敬され、慕われていたようです。「運命と呼ばないで」の主人公であるリースも、のちに、少年時代にお世話になった感謝の意をこめてか、シュパンツィヒに自作の弦楽四重奏曲を献呈しています。そしてなんと、シューベルトも、かの名曲「弦楽四重奏曲 イ短調ロザムンデ」をシュパンツィヒに献呈しているとか!
「奴」がいなければ、弦楽四重奏曲は書かれなかった? |
シュパンツィヒは、当時のウィーンの楽壇で、音楽家として最高の名声を誇りながら、自ら作曲を手掛けることがほとんどありませんでした。彼は、終生「演奏家」に徹し、ロシアに旅行に出た一時期を除いて、ベートーヴェンのそばで彼の作品を演奏し続けました。いったいなぜ…?
それはもしかしたら、ベートーヴェンが人生半ばで難聴を患ったことと無縁ではないかもしれません。耳の病の悪化により、自ら公の場に出て指揮やピアノ演奏を行うすべを失ってしまった……つまり、やむを得ず「作曲専門の音楽家」にならざるを得なかったベートーヴェンにとって、演奏家は、自分の音楽を伝えてくれる代弁者として、欠かせない存在でした。そして、シュパンツィヒは、自らその役目を買って出てくれた筆頭ともいえる音楽家だったのです。
ベートーヴェンは、孤高の天才のようにもいわれますが、実際には、多くの音楽家たちの群像の中に生き、その時々の演奏家との関係に強く影響されて曲を書いていた人です。彼が弦楽四重奏曲を書いていたのは、シュパンツィヒとの交流がさかんだった時期にあたります。特に、晩年、彼が弦楽四重奏曲の作曲に大きな精力を傾けていたのは、それを初演してくれる、シュパンツィヒをリーダーとした弦楽四重奏団の存在があったからに他なりません。
「デブ」などというヒドいアダ名で呼びつけ、冗談をいってゲラゲラ笑い、そのでっぷりしたおなかをつつき、「悪友」そのもののように乱暴に扱いつつも、ベートーヴェンは、シュパンツィヒの存在を、自分自身の生命線のように感じていたのです。
シュパンツィヒとベートーヴェン。少年同士のように無邪気な悪友でもあり、一心同体となって音楽家人生を歩んだ盟友でもある、そんなふたりの関係に思いを馳せながら、彼らの運命の証でもある、数々の作品をいまいちど聴いてみませんか?