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コラム:水谷彰良の「聴くサリエーリ」




イントロダクション




 サリエリ(サリエーリ)ブームたけなわの今日このごろ。もはやファンのバイブルと称しても過言ではない『サリエーリ 生涯と作品』(復刊ドットコム)の著者、水谷彰良先生によるサリエーリ作品解説です。

 創作作品のなかでは「神に愛されし者を殺す」者として登場する“サリエリ”は、実は誰よりも恵まれた(神に愛された)人生を歩み、作曲家として高く評価され、さらにベートーヴェンやシューベルトの師として尊敬を集めた人でもありました。「いい曲が多い」「映画『アマデウス』の「凡庸な作曲家」像は本当なのか」……そんな声も多数聞かれるようになっています。フィクションの“サリエリ”から史実の“サリエーリ”へ……すでにCDやダウンロード・アルバムをお持ちの方も、これからはじめて作品に触れる方も、ぜひ当ページの解説を読みながら彼の作品をお楽しみください。


 最終回となる第12回は、近年、日本でも演奏の機会が増えた『レクイエム』です。サリエリ(サリエーリ)が自分の葬儀での演奏を想定して作曲した名作を、解説を読みながらご鑑賞ください。



第1回『序曲集』


第2回『序曲とバレエ音楽集 1』


第3回『シンフォニア集と変奏曲集』


第4回『オルガン協奏曲と2つのピアノ協奏曲』


第5回『その他の3つの協奏曲』


第6回『オペラ・アリア集 ── アリアから入るサリエーリのオペラ(1)』


第7回『オペラ・アリア集 ── アリアから入るサリエーリのオペラ(2)』


第8回『歌劇「ダナオスの娘たち」』


第9回『歌劇「はじめに音楽、次に言葉」』


第10回『歌劇「タラール」』


第11回『歌曲集』






第12回(最終回)
サリエリ(サリエーリ):
宗教音楽の作曲家サリエーリ




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サリエリ(サリエーリ): レクイエム
 PentaTone レーベル
 ローレンス・フォスター指揮, グルベンキアン管弦楽団,
リスボン・グルベンキアン合唱団


 

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概説:サリエーリの宗教音楽

 サリエーリの宗教音楽は、師ガスマンのもとで17歳の誕生日を目前に学習用に作曲した『ア・カペッラ様式のミサ曲』(1767年8月2日作曲)を皮切りに、70歳を迎えた1820年まで数多く書かれた。ジャンルは規模の大きな順に、オラトリオ2作(『我らが主イエス・キリストの受難』1777年と『冥府のイエス』1804年)、ミサ曲4作(『ア・カペッラ様式のミサ曲』1767年、『ミサ曲、ニ長調』1788年、『ミサ曲、ハ長調』1799年、『ミサ曲、変ロ長調』1809年)、レクイエム1作(1804年。下記)があり、これとは別に「グラドゥアーレ」「オッフェルトリウム」「詩篇」「連禱」「讃歌」「モテット」「イントロイトゥス」に分類される種々の作品がある。
作曲家となる訓練として課せられる宗教曲の作曲は、ラテン語の宗教テキストを適切に音楽化し、対位法に習熟しながら教会音楽の伝統を学ぶことが目的である。これに対し、職業作曲家となってからの宗教曲は教会や私的な礼拝堂で聖務や儀式の際に演奏するための実用的音楽で、歌詞に典礼や聖務日課のためのラテン語の固有文を用いる。18世紀のイタリアではオペラ風のアリアを採り入れた華やかな作品が好まれたが、これに批判的なヨーゼフ2世は壮麗な教会音楽を禁じ、大規模な音楽を伴う典礼を特定の教会に限定する勅令を発した。サリエーリはその教えを守り、典礼用のミサ曲では合唱を主体にしてソリストのコロラトゥーラを控え、静かに祈りを捧げる場所にふさわしい音楽とした。『皇帝ミサ』の別名で知られる『ミサ曲、ニ長調』がその典型で、現在もウィーン宮廷礼拝堂聖歌隊のレパートリーとなっている。

 今回「聴くサリエーリ」の最終回に取り上げるのは、サリエーリが自分の葬儀での演奏を想定して1804年に作曲した死者のためのミサ曲『レクイエム Requiem』である。






サリエーリの『レクイエム』

 サリエーリが54歳の誕生日を迎える1804年8月に作曲した『レクイエム、ハ短調』の自筆楽譜は、チェコ共和国ブルノのモラヴィア博物館に所蔵されている。その上部にはサリエーリの筆跡で「私が自分のために作曲した小さなレクイエム、アント[ーニオ]・サリエーリ。とても小さな被造物 Picciolo Requiem composta da me, e per me, Ant. Salieri, picciolissima creatura」「1804年8月ウィーン」と書かれている(図版参照)。編成は四人の独唱(ソプラノ、コントラルト、テノール、バス)と混声四部合唱、管弦楽にオーボエ2、イングリッシュ・ホルン[コルノ・イングレーゼ]、ファゴット2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽合奏、オルガンを用いる。

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 『レクイエム』の自筆譜(モラヴィア博物館所蔵)



 この『レクイエム』が自分の葬儀用に書かれたことは、後に自筆譜を遺言執行者に託したことでも明らかで、音楽には回顧的な要素もある。楽曲は、「入祭唱(イントロイトゥス~キリエ)」「続唱(セクエンツァ)」「奉献唱(オッフェルトリウム)」「サンクトゥス」「ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」「リベラ・メ」の七つのセクションから成る。





Track 01
入祭唱(イントロイトゥス)/キリエ



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 ハ短調、4分の3拍子、ラルゲット。弦楽合奏とオルガンがユニゾンで奏するしめやかな序奏(0:00-)とバス・パートの「レクイエム・エテルナム(永遠の安息を)」に導かれて合唱が続き、イングリッシュ・ホルンが物悲しい旋律を奏する。終止を経てホ長調、2分の2拍子、アレグレットの晴れやかな音楽に転じるが(3:20-)、すぐに冒頭の音楽に戻り(4:28-)、「キリエ・エレイソン(主よ、憐れみたまえ)」の歌詞を用いて歌い終える。






Track 02
続唱(セクエンツィア)



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 ドラマティックなセクションで、次の四つの部分に分けられる。
「怒りの日」──ハ短調、4分の4拍子、アンダンテ・マエストーソ。合唱のフォルテの斉唱で始まり(0:00-)、音楽は「どんなに慄くことか」の繰り返しで激しさを増し、最後の審判の恐怖をリアルに描く(以下、調性などの記載を一部省略する)。
「不思議なラッパの音」──トランペットが2度鳴らされ(1:52-)、4分の4拍子、アレグロ・モルトに転じ、死者が呼び集められる。伴奏音型を変化させながら進行し、イ長調の和音でいったん終止する。
「恐るべき王」──アダージョの合唱と管弦楽の総奏で救済を嘆願する(4:25-)
「思いたまえ」──変ロ長調、4分の3拍子、アンダンテ・コン・モート。イングリッシュ・ホルンに導かれたソリスト四重唱の静かな訴えで始まり(5:32-)、合唱の関与を挟んで甘美な四重唱が続く。そのままアンダンテ・マエストーソの「涙の日なるかな(ラクリモーサ)」に移行し(12:25-)、合唱と管弦楽が激しく高揚する。これがト長調で終止すると、意表を付いて4分の3拍子の優しい旋律が始まる(13:25-)。その開始部は明らかに『ダナオスの娘たち』ランセのエールやグルック『オルフェーオとエウリディーチェ』の有名な「エウリディーチェなしにどうすればいいのだろう」と共通するモティーフで、サリエーリの過去への郷愁が聴き取れる。そして入祭文の旋律を繰り返し、感動的に「アーメン」と唱和して終わる。







Track 03
奉献唱 (オッフェルトリウム)



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 ハ長調、4分の2拍子、アンダンテ・マエストーソ・マ・コン・モート。明るく華やかな和声的合唱曲(0:00-)。ポコ・ピウ・モッソにテンポを速めて活気ある対位法の書式に移り(1:12-)、トランペットとティンパニも交えて華やかさを増す。続いてヘ長調、4分の3拍子、ラルゲットの穏やかな音楽で変化をつけ(1:45-)、ポコ・ピウ・モッソ、4分の2拍子の活気ある音楽が再帰して閉じられる。

   





Track 04
聖なるかな(サンクトゥス)



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 ハ長調、2分の2拍子、ラルゴ・エ・マエストーソ。全員で「サンクトゥス(聖なるかな)」と和す壮麗な開始部(0:00-)に続いてアレグレット・ノン・モルトにテンポを変え、対位旋律を伴う華やかな主題による「オザンナ」の賛歌(0:52-)が高らかに歌われる。






Track 05
祝せられるなか(ベネディクトゥス)



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 イ長調、2分の2拍子、アンダンテ・コン・モート。ソリストの明るく和声的な四重唱に合唱が関与する穏やかな曲(0:00-)。最後に前曲の「オザンナ」の一部を再現し(2:22-)、華やかに終わる。






Track 06
神の小羊(アニュス・デイ)



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 ハ短調、4分の3拍子、ラルゲット。イングリッシュ・ホルンに導かれ(0:00-)、和声的な合唱が「神の小羊、世の罪を除きたもうお方、安息を与えてください」と歌う。グルックを想起させるハ長調、2分の2拍子、ポコ・アレグロの前奏(1:57-)による合唱を経て、ハ短調、4分の3拍子、ラルゲットの入祭唱を再現して意表を付き(3:09-)、4分の4拍子、ポコ・アレグロの終結部(4:03-)に至る。






Track 07
リベラ・メ



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 ハ短調、4分の4拍子、アンダンテ。合唱に管弦楽を重複させた聖歌風の終曲(0:00-)。ソリスト四重唱が「永遠の安息を与えたまえ、主よ」と和す部分(1:40-)を挟み、全員がフォルテで冒頭の「リベラメ・ドミネ(われを解き放ちたまえ、主よ)」を繰り返す(2:19-)




 以上がサリエーリの『レクイエム、ハ短調』である。死に対する個人的観想と過去への郷愁がないまぜになったこの作品は近年日本での演奏機会も増え、モーツァルトの『レクイエム』と並ぶ名作として愛されている。







◎終わりに◎
 これをもちまして、連載「聴くサリエーリ」を終わります。お読みいただき、ありがとうございました。FGOのサリエリを発端に史実のウィーン宮廷楽長サリエーリに関心を抱いた皆さまが、拙著『サリエーリ 生涯と作品』と共にナクソス・ジャパンの音源を通じてサリエーリの音楽に親しんでいただきたいと考え、このコラムを書かせていただきました。クラシックやオペラは敷居が高いと敬遠する方も、サリエーリの音楽の素晴らしさを“発見”していただけたことと思います。
 この場をお借りして、ナクソス・ジャパン株式会社さまと、毎回原稿をサイト用に編集いただいた堀祥子さんに心から御礼申し上げます。今後は続編「見るサリエーリ」を郵船トラベルのサイトに掲載予定です。こちらからご覧ください。

●郵船トラベル「見るサリエーリ」






【執筆者】
水谷彰良 Akira Mizutani

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1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。著書:『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻。東京書籍)、『ロッシーニと料理』(透土社)、『消えたオペラ譜』『サリエーリ』『イタリア・オペラ史』『新 イタリア・オペラ史』(以上 音楽之友社)、『セビーリャの理髪師』(水声社)、『サリエーリ 生涯と作品』(復刊ドットコム)。日本ロッシーニ協会ホームページに多数の論考を掲載。


【ツアー】
水谷彰良同行ツアー「サリエーリ(サリエリ)に逢いにいく」&連載「見るサリエーリ」(郵船トラベル)








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